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総集編 001―100

おかげさまでロードサイダーズ・ウィークリーは今週配信号で100冊目になりました。2012年1月4日配信の創刊号から2年間、いちども欠けることなく毎週お届けできたのも、サポーターのみなさまのおかげです。あらためて深く感謝いたします。

告知や編集後記は含まないメインの記事だけで、これまで2年間で約400本を配信してきました。

今回はその中から各号のフィーチャー記事を、1枚の画像とごく短い要約テキストでまとめて、001から100まで並べてお見せします。読みきれないうちに次の号が来てしまったり、あとでと思ってるうちに読み忘れてしまったり、懐かしかったり・・・購読者のみなさまのために、各記事にはリンクも貼ってありますので、気になる記事はぜひ、アーカイブで全文をお読みください。

2016年にまた「200号記念」でこんな特集を配信できるよう願いつつ・・・とりあえずは来週水曜の101号に向けてがんばらないと。これまで同様、これからも応援よろしくお願いします! そしてメルマガ未読のみなさまには、これを機会にご購読を検討していただけたら幸いです。

それではロードサイダーズ「最初の百冊」アルバム、ゆっくりお楽しみください!

都築響一
ROADSIDERS' weekly 配信チーム


001 Wasabi~裏長屋の変身アトリエ

上野と浅草のちょうど中間にある台東区松が谷。日本一の調理道具街・合羽橋があることで知られる松が谷の、長屋のような2階建て店舗兼住宅に、2011年秋にオープンしたばかりの『WASABI』は、「ロリータ系かわいいコスチューム衣裳専門 店」。もうちょっと詳しく言うと、「ロリータ系かわいいコスチューム」を1週間1万円前後というリーズナブルなお値段でレンタルできて、希望すればヘアメ イクもしてくれて、写真も撮ってくれるアトリエ。こころに秘めた変身願望をかたちにしてくれるサービスだ。

「いちどはロリータやメイドの女装をしてみたかった」男性や、「結婚式の二次会にブリブリのアイドル・コスをしてみたい」女性など、WASABIにはいろ んなお客さんがやってくる。それも、ほとんどはクチコミで。コスプレを「いちどはやってみたい」「パーティの余興に」なんていうひとにとって、コスチュームは必要なときに借りられればいいのであっ て、買って使って、あとはずーっと箪笥の奥に仕舞っておくなんて無駄なこと。そういう、マニアのコレクター以外のほとんどのひとのために、いままでありそ うでなかったサービスとも言える。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=1



002 周回遅れのトップランナー 田上允克

時流に媚びない、のではなく媚びれないひとがいる。業界に身を置かない、のではなく置いてもらえないひとがいる。自分だけの絵を、自分だけで描きつづけて数十年・・・売れることもない。でも描くことをやめない。孤高と言うより孤独。天才と言うより異才。どこかの地方の、どこかの片隅で、きょうも黙ってひとりだけの作品世界を産みつづけるアーティストたちがいる。

本州のいちばん西の端になる山口県。そのまたいちばん西に近い山陽小野田市は、お隣の下関市を越えればもう、関門海峡を隔てて北九州。田畑とショッピングセンターやファストフードの店が混じり合う、典型的な郊外風景に包まれた集落の、いちばん奥のほうにある年季の入った一軒家で、田上さんはいつも絵を描いている。

30歳になったころ絵の道に飛び込み、以来40年間近く、日本各地を転々としながら、絵を描く以外のことはいっさいしないで、いままで生きてきた。生まれ育った地であるこの場所に、5年ほど前に戻ってきて、あっというまに母屋も、離れも、納屋も全部、作品で埋めつくされて、それでも毎日数枚というハイペースで作品を描きつづけ、描いたものは無造作に積み上げ、また新しい紙を目の前に広げる。そういう生活を倦むことなく、疑うことなく続けてきた。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=4



003 「大阪式」に生きるということ

「大阪」という場所、大阪人という人種が持つ、独特の空気感を湛えた写真を久しぶりに見たなと思ったのが、谷本恵(たにもと・めぐみ)という、やはり若い女性写真家が去年(2011)年の1月に、四ッ谷3丁目のギャラリーSHUHARIで開いた小さな写真展『大阪式』だった。

それから1年間のうちに彼女はもういちど『大阪式』の新作展を開き、そして今週から3度目の『大阪式』をスタートさせるという。何度も撮影に通って、そのたびに新作を、こんなにハイペースで発表しているのは、よほど大阪の下町がおもしろいのだろうし、そのおもしろさが彼女のツボにはまっているのだろう。

谷本恵さんは1978(昭和53)年、大阪市西成区橘生まれ。西成区といえば、通天閣に釜ヶ崎のドヤ街、そしてじゃりン子チエの世界でおなじみ、もっともコテコテのザ・大阪エリアである。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=7


撮影:谷本恵


004 烈伝・ニッポンの奇婦人たち 女将劇場

コンクリート造の大型観光旅館と古びた飲食街が混在する湯田温泉は、日本のどこにでもありそうな、正直言って風情には欠ける雰囲気。しかし温泉街の奥にそびえる大型旅館『西の雅・常盤』のロビーあたりは、毎晩8時過ぎごろから宿泊客や外からのお客さんで、にわかに賑わいだす。今夜も8時45分から宴会場で名物『女将劇場』が始まるのだ。

温泉に入るよりも、これを見たさにわざわざ湯田温泉に来る客も大勢いる、いまや当地きっての名物。そして有名になればなるほど、地元の人間からは「イロモノ」として一歩引かれた視線を浴びつづける、孤高の存在でもある。

365日休みなし、毎晩8時45分からたっぷり1時間半にわたって繰り広げられる女将劇場。大女将の髙美さんが主演となって、妹の中女将、娘の若女将、そして代々受け継がれると山口大学の学生たちを中心とした15人あまりのメンバーによって、次から次へと30以上の演目がノンストップで展開する、それは異様なまでにエキセントリックで、すばらしく高度な学芸会というか、抱腹絶倒でありながら真剣勝負のシロウト芸だ。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=10



005 夜のオプションは『スナック来夢来人』で!

山口市役所のある中心街から車で10分も走れば温泉街。湯田温泉は、県庁所在地と温泉場が同居する、珍しくも羨ましいロケーションだ。

県庁所在地のある飲食街はみんなそうだが、湯田温泉の飲み屋も昔から官官接待で栄えてきた。それがご時世ですっかりなくなって、往年の盛り上がりもどこへやら。「昔はね、お金がレジに入りきらなくて、カウンターの下に箱を置いて詰めてたの」と溜め息をつきながら、ヘネシーのオンザロックを傾ける桂子ママの店、スナック来夢来人であります。

「いまはね、お客さんだってみーんな焼酎でしょ。安いのばっかり。だから“ママも飲もうよ”って誘われたら、命がけでヘネシー飲んで、売り上げにするのよ!」と嘆く桂子ママのお店は、創業36年。21年前までは「あすに香ると書いて」、<明日香>というお店だったが、「いろんな客を励ましたり、お守りをするのがイヤになっちゃって、常連さんも歳食って偉くなったから、夢のある人だけいらっしゃいっていう意味で、来夢来人に改名したの」。

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006 福岡郊外に隠された匠の理想宮・・ 鏝絵美術館探訪記

福岡県の小さな町に、現代の長八とも言うべき、稀代の左官職人による「こて絵の美術館」があるのを知るひとは、福岡県民でもそう多くないかもしれない。福岡市中心部と太宰府のちょうど中間、大野城市の住宅街にひっそりたたずむ『鏝絵美術館』が、その知られざるプライベート・ミュージアムであり、その館長であり左官職人でありこて絵師であるのが三浦辰彦さんだ。

福岡のベッドタウンという風情の、なんの特徴もない郊外住宅地のなかで、三浦さんのお宅と、経営するアパートのあいだに口を開ける美術館のエントランス、そして道路脇にそびえる5メートルあまりの白龍が、見落としようのない存在感を放って見事である。

鏝絵美術館は開館時間が「毎日、日の出から日の入りまで」。入館料は「無料」! ご本人も奥様もいらっしゃらないときは、「勝手に電気つけて見てってください」という太っ腹ぶりだ。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=16



007 烈伝・ニッポンの奇婦人たち 切腹アーティスト・早乙女宏美

真っ暗な部屋の、そこだけロウソクでほんのり照らされた場所に、襦袢一枚になった女が座している。静かに呼吸を整える彼女の前には懐紙に巻かれた剥き身の短刀。おもむろに女は襦袢をはだけ、白褌一枚の腹部をさらす。そして短刀を握りしめると、ハッと鋭い気合いとともに左腹部に突き刺し、うめきながら右端まで見事にかっさばく・・・見苦しい姿をさらさぬよう腰紐でしっかり縛られた両膝から足先までを、おびただしい血で赤く染めながら・・・。

早乙女宏美はおそらく日本でただひとりの「切腹パフォーマンス・アーティスト」である。そしてピンク映画からSMビデオまで、数々の映像で男たちを魅了してきた伝説の女優であり、SMショーの花形であり、作家でもある。業界では知らぬもののない存在でありながら、一般のメディアからは不当に過小評価されつづけてきた、アンダーグラウンドのミューズだ。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=19



008 電気の街の、わくわくうさぎランド

秋葉原が電気少年や工作小僧の聖地だったのは、もう過去のこと。いまや秋葉原はアニメキッズの性地、そして中国人観光客の買い物天国と化している。大通りで客引きに声をからすのは、家電やパソコン・ショップの店員じゃなくて、メイドカフェの娘たちだ。

そんな新・秋葉原の中心部にオープンしたばかりなのが『CANDY FRUIT うさぎの館』。その名のとおり、うさぎがいっぱいいる館なんです・・しかも動物のうさぎと、人間のうさぎが。

外から見ただけでは、単なる商用雑居ビルにしか見えない、大通りから1本入った建物の9階にあるのが、うさぎの館。で、「館」に入店してみれば、壁際にずらりとケージが並び、フローリングの床には気をつけないと踏みつぶしちゃいそうな可愛いうさぎが、うずくまったり走り回ったり。そのうさぎを撫でたり、携帯写メに余念のないお客さん、さらにはうさぎの着ぐるみを着用した「娘うさぎ(こうさぎ)」が入り交じって、ウルトララブリーなカオス空間となっていた。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=23



009 釜山 巻き戻された街で

釜山から高速バスで1時間半弱、韓国第2の面積を誇る巨済島(コジェド)に着く。立地の良さから、日帰りで遊びに来る釜山からの観光客で週末はにぎわう。しかも巨済島のすぐ沖合にある外島(ウェド)は『冬のソナタ』の最終回の舞台。風光明媚な観光名所が多い中で、P.O.W.Campと呼ばれる『捕虜収容所遺跡公園』だけは、異色の存在だろう。

1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争は、現代の朝鮮半島情勢を決定づけた朝鮮史上の大事件だった。まず6月15日に北朝鮮が韓国領内に侵攻。25日には国連安保理で侵略が宣告されアメリカが参戦、戦況は泥沼化していくのだが、そうした中で1951年、巨済島に設置されたのが大規模な捕虜収容所群である。

1953年7月27日の休戦協定調印によって閉鎖されるまで、最大時で北朝鮮人民軍15万、中国軍2万、女性捕虜と義勇軍3000名など総計17万人以上を収容した収容所は、長らく廃墟と化していたが、いまは収容所遺跡公園として生まれ変わり、朝鮮戦争の推移から収容所生活の様子までを詳しく見て取れる、体験型教育観光施設となって人気を博している。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=26



010 周回遅れのトップランナー 仲村寿幸

2008年春、渋谷のポスターハリス・ギャラリーという小さな画廊から来た展覧会案内には驚かされた。展覧会のタイトルは『擬似的ダリの風景』。仲村寿幸というアーティスト名にはまったく聞き覚えがなく、時代感覚を超越したような、ばりばりのシュールな絵にも興味がわいたし、「初個展―苦節30年、積年の思念が遂に成就」というサブタイトルにも惹かれたが、それよりもなによりも、葉書に刷られた「作品管理者求む、全作品寄贈します!」という一行に度肝を抜かれたのだった。自分の展覧会案内で、全作品をタダで譲りますと告知する作家って・・・。

仲村寿幸、山口県萩市中心部を流れる松本川に面した家で、絵を描き静かに暮らす65歳の画家である。「自分の絵はひとに見せてどうなるとかじゃなくて、自分の中から沸きでるなにかというか、自分の生きてる証みたいなものですから」と言って、いまも木造家屋の一室で、ひっそりと自分の絵を、自分だけのために描き続けている。川に面した斜面に建っている家屋には、階下に広い部屋がふたつあり、そこをギャラリーに仕立て、自作をきちんと展示している。ほとんど見に来るひとはいないのに。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=29



011 ワタノハスマイルが気づかせてくれたもの

大震災で壊滅的な被害にあった宮城県石巻市の小学校で、山積みにされたガレキをつかって、子供たちがこんなにおもしろい作品をつくっていて、それが日本中を巡回していることを、僕はうかつにもまったく知らなかった。 その小学校の名前を取って「ワタノハスマイル」と呼ばれるプロジェクト――

私たちは渡波小学校の校庭に流れ着いた町のカケラ(ガレキ)を使ってオブジェを作りました。 「町のカケラ」を子供たちが自由にくっつけ、自由にオブジェを作りました。 悲しみの固まりが、子供たちの力によって優しいオブジェに生まれ変わりました。 今回の震災で出た街のガレキの撤去に多額の支出が見込まれていますが、 子供たちの作ったオブジェはガレキではなく「大切なもの」に生まれ変わりました。

ワタノハスマイルのウェブサイトには、こんなふうに書かれている。いまだ市街各地にそびえたつ、だれもが言葉を失うしかない、圧倒的な負の巨塊としてのガレキの山。それを、たとえ部分的ではあっても、楽しげな作品の素材に見立てる発想の転換。これをアートと言わずして、なんと呼ぶべきか。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=32



012 南国地獄をあとにして・・・

イサーン地方と呼ばれるタイ東北部の玄関口、ナコンラチャシマー郊外のノンターイという小さな町にあるパーラックローイ寺。訪れるものは、一瞬そこが寺院だとはわからないかもしれない。のどかな農村風景の中に、プレートと呼ばれる一対の幽霊の、ひょろひょろと細長い巨体がそびえている。酒や麻薬におぼれたり、両親に背いたり、物欲に溺れたり、「充分という言葉を知らぬもの」が、死んでプレートになるのだという。

プレートのまわりには、それこそ文字どおりの地獄絵図が展開している。それも鮮やかな彩色の立体ジオラマで。獣に腹を食いちぎられているもの、腕や足を切り落とされて呻くもの、嫉妬に狂った女に睾丸を切り取られようとして恐怖に怯えるもの・・。そしてそこには音と動きがある。地獄シーンのいくつかは、硬貨を入れることで人形が動き出し、不気味な音まで立てるのだ! あちこちに両替の屋台が設けられているのは、訪れる人々がよほどたくさん硬貨を投入していくのだろう。ようやくブッダがあらわれるのは、次から次へと展開して終わりのない地獄図に、満腹を通り越して辟易としはじめるころになってからである。

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013 圏外の街角から:福岡県大牟田市

かつて三井三池炭鉱を擁する「石炭の街」として栄華を誇った大牟田市も、いまでは見事なまでのシャッター通りと化している。 その中で唯一、フレッシュなエネルギーにあふれた場所が、かつてのグランドキャバレーを改装したライブハウス/イベントスペース『大牟田ふじ』だ。

1961年に『アルサロ富士』として創業、1996年に廃業したこの店をライブスペース『大牟田ふじ』として甦らせたのが、ディレクターを務める竹永省吾さん。オープン当初から灰野敬二、渋谷慶一郎、さらには海外からバリバリのハードコア、ノイズ系アーティストを呼んで、地元のバンドとカップリングさせるという先鋭的なブッキングを続けてきた。

その竹永さんが熱烈推薦するのが『電子たくあん』。CDJを担当する竹永さん本人と、フィルターの古賀章郎さん、ドラムの村里杏さん――大牟田在住の3人からなるハードコア・ノイズバンドだ。そして『電子たくあん』の中心人物である杏(あん)ちゃんは、なんと17歳、ただいま高校2年生という「女子高生アーティスト」。完璧なテクニックと、疾風怒濤のエネルギー。オトナふたりの電子楽器オペレーターを従えて。それがいつもは紺色の制服にカバンを提げた、かわいらしい女子高生だとは・・。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=38



014 周回遅れのトップランナー 川上四郎

横浜郊外の団地の一室で、目の前にずらりと絵画作品と写真プリントを並べて、ニコニコしている小柄な老人。絵も写真もずっとアマチュアでやってきた彼の作品を、名前を知るひとはいないだろう。

川上四郎さんは1930(昭和5)年生まれ、現在82歳。 国立国会図書館を61歳で定年退職し、2010年に最愛の妻・千恵子さんを亡くされてからは、ずっとひとり暮らしだ。高齢化と過疎化が進むエリアで、「買い物が大変なんだけど、運動を兼ねてなるべくマメに出るようにしてます」と言いながら、炊事、洗濯もぜんぶ自分で済ませ、絵の教室、書の教室、合唱の集まりと忙しく動き回っている。

世間が簡単にひとくくりにする「独居老人」の寂しさも、侘びしさもまったくない。定年後に無理やり始める「趣味」とは次元のちがう、若いころから貫いてきた「好きなもの」の道がちゃんと見えていて、余生をすべてその道に捧げて悔いのない日々が、そこにあった。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=41



015 マイ・フェバリット・オールド・バンコク

バンコクはいま、かつての東京のような激変の最中にある。第2次大戦後に建てられた建築や、密集した住宅群が容赦なく破壊され、巨大なショッピング・コンプレックスや高級高層コンドミニアムに、どんどん生まれ変わっている。古き良き東南アジアの都市風景を形成してきた「バンコクらしいバンコク」がどんどん消えていく。

ホアランポーン駅の東側、中華街の端にナイチンゲール・オリンピック・デパートがある。サイアムあたりのメガ・デパートとは比べものにならない、小ぶりな店構え。停電かと心配するほど薄暗い店内照明。お埃だらけのビニールカバーに包まれた、何十年も前からそこに並んでいたにちがいない衣料品。アンティーク・ショップみたいなアクセサリー・コーナー。化粧品のケースを覗いてみれば、栓を通して蒸発して瓶の三分の一ぐらいしか残ってない香水が並んでる!

時間がずーっと止まったまま、ここは呼吸しつづけけている店なのだろうか。唖然として眺めていると、商品と一緒に年月を重ねてきたとおぼしき、超ベテランの店員さんが寄ってくる・・・「2階もあるわよ」。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=44



016 妄想芸術劇場 ぴんから体操展

日本のエロ雑誌史上、ある意味でもっともエクストリームな強度と純度を保持しつづけるシロウト投稿露出写真誌『ニャン2倶楽部』。1990年の創刊当初から設けられた投稿イラスト・ページは、誌面の大半を占める投稿写真に圧倒されながら、現在も片隅で継続中である。

写真ならいくらでも焼き増しすればいいし、デジカメの時代となった現在ではデータを送ればそれで済む。でもイラストは、そうはいかない。時間をかけて一枚ずつ「オリジナル」を描かなくてはならないのだが、この種の雑誌は投稿作品を返却しない。せっかく描いた作品が、編集部に送ったまま失われるということである。

それでも現在に至るまで20年以上も、作品を送り続ける投稿者がたくさんいる。失われることがあらかじめ約束されていながら、作品を描きつづけ、送りつづけること。プロフェッショナルなアーティストとは180度異なる創作の世界に生きる表現者が、メディアの最底辺にこれだけ存在していること。妄想芸術劇場とは、そうした暗夜の孤独な長距離走者を追いかける試みである。そして、そんな報われることのない長距離走の、もっとも伝説的なランナーが「ぴんから体操」であることに、異議を唱える愛読者はいないだろう。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=47



017 コラアゲンはいごうまんの夜

コラアゲンはワハハ本舗所属の「体験型ドキュメンタリー芸人」だ。本舗主宰の喰始から「SM女王様の奴隷入試を受けてこい」とか、「武闘派ヤクザの事務所に1ヶ月間体験入所してこい」とか、メチャクチャな課題をもらって、それをそのまま実行。そこで得た体験を舞台上で、たったひとりで語り尽くす、まさにカラダを張った芸である。

体験の中味があまりに濃いために、1本のネタの所要時間が30分~2時間! テレビにはほぼ出演不可能。ライブでしか味わえない貴重な芸風だけに、とうぜん高額ギャラとは無縁の生活を送ってきた。

いまだに阿佐ヶ谷の風呂なし六畳ひと間のアパートに住み、がんばりつづける1969年生まれ42歳のピン芸人。30秒で笑いを取らなければならないテレビの世界に背を向け、たったひとりで地方の居酒屋や美容院、個人宅までを舞台に、ときには数人の観客のために、汗みどろで語りつづける――こういう「語り部」が、こんなふうにいまの時代を生きていることが、僕には奇跡としか思えなかった。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=50



018 ウグイス谷のゴム人間

『デパートメントH』はアメリカン・コミックス・スタイルの作風で知られるイラストレーター・ゴッホ今泉さんが主宰する日本最大級の、もっともよく知られたフェティッシュ・パーティである。今年でおよそ20年、毎週第一土曜にほとんど欠かさず開かれているから、通算200回以上は開催されている、恐るべきご長寿イベントだ。

ゴリゴリの変態さんが集結するハードコア志向のイベントと異なり、デパHはハード派からソフト派、初心者、さらには「自分はぜんぜん変態じゃないけど、変態さんの写真を撮りたい」中年カメコ(カメラ小僧)まで、幅広く門戸を開放しているのがユニーク。

全身ピアスに革ビキニパンツの男がのし歩いてるかと思えば、ラバーの看護婦コスで写メ撮りあってる女の子たちがいたり、手づくりニューハーフ雑誌やDVD売ってるブースの、すぐ先の階段脇では「変態です」と書いたボール紙を首からぶら下げた全裸男がいたり。そういう明るくてフレンドリーでウェルカムな雰囲気が、これほどマイナーな分野に生きるひとたちを、これほど長いあいだ惹きつけてきたのだろう。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=55



019 おとなしい顔の魔界都市

広島市に次ぐ、広島県第2の規模を誇る福山市。中国地方でも広島市、岡山市に次ぐ3番目の大都市であるが・・・知名度から言えばかなり劣ると言わざるを得ない。

その福山と尾道を結ぶ国道2号線沿いに、見落としようのない異様なオーラを発する『占い天界』がある。 「占」「占」「占」「占」「ピタリ当たる」「神界」「大天国」「的あたーれ」・・・独特の丸文字と原色の描き文字看板で、初めて見るひとをギョッとさせ、見慣れたひとの目を伏せさせずにはおかない。ここが福山きっての裏名物『占い天界』(正式名称・新マサキ占術鑑定所)だ。

そして一歩内部に足を踏み入れると、そこはさらなるオブジェの森というか、超絶インスタレーション空間。ケバケバしい外観は、単なるイントロダクションにすぎなかった! そしてそのウルトラバロックな室内の中央に、悠然とかまえて我らを迎えてくれるのが、この館の主・黒田真旭(くろだ まさき)さんである。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=56



020 鞆の浦おかんアート紀行

広島県福山市の『鞆の津ミュージアム』で開催される展覧会『リサイクル・リサイタル』。会場となる福山市鞆の浦地区は明治・大正・昭和の街並みがそのまま生きている、風情にあふれたエリア。そしてこういうタイトなコミュニティにかならずと言っていいほど見つかるのが・・・そう、「おかんアート」だ。

プロのアート作品にも、アウトサイダー・アートにすら存在しない、「おかんアート」の一種独特の破壊力。最初に「おかんアート」を「アート」と認識して眺めたとき、まずこころに浮かんだのは「これ、アメリカの現代美術みたいだ!」という、唐突な連想だった。乾いて、暴力的で、パワフルなサバービア・ランドスケープと、母なる温もりにあふれた「おかんアート」は、一見対極の存在に見えながら、実はどれほど近くにいることか。

100%の善意でつくられたものが、見方をちょっと変えるだけで、冷酷なアイロニーのカタマリになったりする。置かれる場所によって、だれにも望まれない飾り物になったり、バリバリの現代美術作品になったりする。単一の価値観に収まりきれないものが現代美術の特質のひとつであるならば、もしかしたら「おかんアート」とはもっとも無害に見えて、もっとも危険な立体作品であるかもしれないのだ。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=60



021 突撃! 隣の変態さん チェリスQ

都内某所、私鉄沿線の駅を降りて商店街を抜けた先に「チェリスQ」の基地がある。屋根裏部屋を使った、立つどころか四つん這いでないと入ることも動くこともできない、その超高密度空間に案内されて、僕はしばし言葉を失った・・。

チェリスさんは「美少女系ドーラーコスプレイヤー&美脚着ぐるみパフォーマー」だ。大型美少女仮面を頭からかぶり、からだにはコスチュームをまとって、イベントに出没したりパフォーマンスを展開する「着ぐるみマニアさん」のなかでも、知らぬもののないベテランのひとりである。

東京に生まれ育ったチェリスさんが、着ぐるみの世界に足を踏み入れたのは2002年、いまからちょうど10年ほど前のことだった。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=62



022 ドクメンタ・リポート 裸の王様たちの国

フランクフルトから特急に乗って約1時間半、「グリム童話と現代美術の町」カッセルで、6月9日から100日間のドクメンタ13が公式にスタートした。

5年にいちどだけ開催され、それも選ばれたひとりのアーティスティック・ディレクターによって展覧会全体がコントロールされるドクメンタは、ヴェニス・ビエンナーレのような祭典的色彩の強い「現代美術フェスティバル」よりも、その時代の現代美術のありようを世界に問いかける、シリアスなプレゼンテーションの場ともいえる。

56の国・地域から約190人/組が参加したなかで、唯一の日本人アーティストとなったのが、大竹伸朗の作品『モンシェリ:スクラップ小屋としての自画像』。展示内容だけでなく、「場」を重視した構成が今回のドクメンタの特徴でもあるのだが、大竹伸朗の作品が置かれているのも、カールスアウエ公園の奥深い、木立に囲まれた一角だった。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=66



023 突撃! 隣の変態さん サエボーグ

「ラバーインフラッタブルのアニマルスーツを自作、着ぐるんでます。夢はラバー牧場を作ることです」と、サエボーグさんのブログ自己紹介には書かれている。デパートメントH・ゴムの日特集でも、とりわけ異様に目立っていたラバー・パフォーマーがサエボーグさんと友人たちだった。なにせ空気で膨らませたラバー製の農婦(サエノーフ)、そのうしろには雌牛が出てきて搾乳、そのあとはメンドリが出てきてタマゴを産む! という驚愕のステージが展開されたのだから。

サエボーグさんは富山県高岡出身、現在31歳のアーティスト/変態さんだ――「小さいころから絵は好きだったんですけど、中1ぐらいからヤオイにはまっちゃいまして・・同人誌を通算で3万冊は集めたと思います。まあ、典型的な腐女子ですよね(笑)。そのころから男女という枠を越えた、なにか中性的なものに憧れてたんだと思います」。

大学1年にして、すでにベテラン腐女子だったサエボーグさんは、セクシュアル・マイノリティへの興味から、入学後すぐに銀座のフェティッシュバーで働き出す・・・。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=72



024 うれし恥ずかし駅前彫刻

ある日、友人から届いた『駅前彫刻』と『駅前彫刻2』と題された手作り小冊子は、名前のとおり駅前や公園や道端に、だれにも気にされないままひっそりたたずむ、ブロンズや石の彫刻作品を撮影した写真集だった。

冒頭には、こんなステートメントが載っている――

それはいつからそこにあったのか。誰のために誰がつくり誰がしつらえたのか。彼らは裸で、ときに薄衣をまとい、幼子をいだき、平和の使者をたずさえて、静かに遠くを見つめている。その希望に輝く顔と幸福な姿体を拝せよ。それはいわゆるひとつの駅前彫刻。

いったいだれが、こんなに楽しくてユニークで、意地悪でポップな写真集をつくったんだろう。さっそくコンタクトしてみたら、作者のリケットさんはこれまたものすごくポップなバッグをつくる、バッグ・アーティストでもあった。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=74


撮影:リケット


025 突撃! 隣の変態さん ラバーマン

デパートメントHの舞台。黒子が押す台車に乗せられて、キャットウォークに現れたオレンジ色の巨塊――「サナギ」。台車からゴロンと転がり落ちたところに、黒子がすばやくジッパーを押し下げると、中からやっぱりオレンジ色の、ラバーに包まれたぶよぶよの巨体が現れ、両手をかかげて雄叫びを上げる・・聞こえないけど。

フェティッシュ、ビザールというファッショナブルな言葉よりも、「異形」という漢字がいちばんよく似合う、それはただひとり異界に君臨する孤独な王の風情だった。台車の玉座と、ガスマスクの王冠と、ラバーの王衣にくるまれた。

ラバーマンは今年38歳、ふだんは靴の修理店に勤務する男性である。文京区千駄木の閑静な住宅街にある住まいは、棚いっぱいのラバー・コスチュームのコレクションをのぞけば、ごくふつうの独身男性の部屋だ。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=78



026 日本でいちばん展覧会を見る男

日本でいちばん展覧会に行ってるひとって、だれだろう。僕はこのひとだと思う――山口“Gucci”佳宏、通称「グッチ」さん。でも、彼は美術評論家でもなければ学芸員でも画商でも、美術運送業者でもない。グッチさんはレゲエ・ミュージックに長く関わってきた、生粋の音楽業界人なのだ。

グッチさんが行った展覧会を数えると、ここ5年間でこういう数字になる・・「2007年 539」「2008年 724」「2009年 1106」「2010年 585」「2011年 677」。

今年もすでに、5月21日の時点で245軒! 足まめな美術評論家でさえ、おそらく一桁少ない数しかこなしていないはず。しかもグッチさんは悠々自適の趣味人ではなく、ちゃんと仕事をしている多忙な身である。そして美術業界人のようにタダでオープニングパーティに呼ばれるわけではなく、ちゃんとチケットを買って入場している、いち美術ファンに過ぎない。

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027 池袋のラバー女神たち

5月6日=「ゴムの日」にちなんだ「デパートメントH ラバーマニア大集合」で大フィーチャーされたのが、池袋に拠点を置くラバー・ファッション工房『KURAGE』だった。

KURAGEを主宰するKid' O(キド)さんは、1969(昭和44)年生まれの43歳。池袋のおとなり椎名町で生まれ育ったので、「新宿から向こうは敵だと思ってますから!」と、現在までずーっと池袋を拠点に活動を続けてきた。「ファッションをやるっていうと、みんな青山とかになるじゃないですか、でもなんであっちに頭下げなくちゃならないんだって思うんです、ほしければこっち来いよと」と語るKid' Oさん。「僕にとっては、冗談じゃなくて、ニューヨーク、パリ、ロンドン、池袋ですから!」と言い切る。

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028 女性のようにオシッコできたら―― 岡田快適生活研究所の孤独な挑戦

松山空港そばの、田んぼが広がる中の一軒家。ここが岡田快適生活研究所――いま性同一障害のひとや、女装子さんたちの注目を集める「ペニストッキング」をはじめとする、素晴らしく独創的なラインナップのスーパー特殊下着を次々に開発・販売している会社の本拠地だ。

岡田快適生活研究所の主、岡田司郎さんは今年63歳。1949(昭和24)年、松山市郊外の余戸に生まれ、いまも同じ場所に住み暮らし、ユニークな商品をつくりつづけている。商品数も「ペニストッキング」から「ペニスレギンス」、「吸い付くボクサーパンツ」、「性リバーシブルパンツ」、「天使のふんどし」、「魔改造パンスト」などなど、楽しいバリエーションが増えてきた。

しかも岡田さんはいま、「宇宙用オムツ」と命名した画期的な、し尿取り具の開発にも熱中していて、すでに特許も取得済みだという。こんなに細い病身の、どこにそれだけの情熱が潜んでいるのだろうか。

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029 みちのく路の特殊美術喫茶・ブルボン

福島県いわき市に、珍スポット・ハンターたちには広く知られた名所がある。市内中心部、平(たいら)1丁目交差点近くにある『喫茶ブルボン』だ。

かなりの建坪の2階建てビル。1階駐車スペースがすでに、なんとも独特な、おびただしい数の造形物で埋まっている。そして1階脇の階段から「ブルボン入口」のサインに導かれて2階に上がってみれば・・そこはあまりの数の作品に、広い店内がほとんど見渡すことのできない、めくるめくアートの密林だった。

呆然として入口に立ちつくしていると、カウンターの奥から「いらっしゃい」と静かな声が聞こえてきた。宮崎甲子男(かしお)さん。現在88歳にして、いまも毎日店頭に立って濃厚なコーヒーを振る舞いながら、作品制作にも情熱を燃やしつづける、いわき市きってのロードサイド・クリエイターである。

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030 バンコク猟盤日記

僕がタイに通いはじめたのは、いまから10年ぐらい前。そして2004年から数年間は、年に何回もバンコクに通う「ハマリ状態」に。そのうちもともとの中心だった中華街のあたりが大好きになって、朝から晩まで汗だくになりながらぶらついたものだった。

広い中華街のなかでも特に好きになったエリアが、ヤワラート通りとジャルンクルン通りという、ふたつの大通りに挟まれたナコンカセムという一角。ここには古い出版社や骨董品屋、楽器屋などがごちゃごちゃと固まっていて、建物も古いままで風情満点。そのジャルンクルン通りをぶらぶらしているときに出会ったのが、一軒の古ぼけたレコード屋だった。

いまから10年近く前とはいえ、もちろんタイでも音楽はCDで聴くもので、あとはカセットテープがあるくらい。アナログ盤を売ってるCDショップなんて皆無だったのだが、なぜか中華街のこの一角だけには、その気になって探してみたら数軒のレコード屋が点在していた・・・。

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031 海景と死者の町

鳥取市内から9号線を西に向かう。車窓の左側に大山の雄大な景観が見えてくるころ、JR山陰本線・赤崎駅への曲がり角がある。もともとの名前を赤崎町、どんな観光ガイドブックにも載らないこの地味な町に、これまた観光ガイドには載らない、とびきりの奇景が隠されている。

道路標識はない。カーナビにも表示されない。赤崎の町並みから、さらに海側を走る細い道を見つけたら、それを右に折れてみよう。すると左の海側に・・すぐ見つかるはずだ、巨大な墓地が。

「花見潟墓地」(はなみがたぼち)と呼ばれるこの場所は、海岸に面して約2万の墓がびっしり並ぶ、自然発生型の海岸墓地である。いつごろ、だれがつくったのかはまったくわからないが、赤崎の海岸に沿って、いつのまにかこんなにも巨大な墓地ができてしまったのだという。

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032 軽金属の娼婦たち

いっとき、日本でだれよりもよく知られたイラストレーターで、いまはほとんど雑誌でも広告でも作品を見ることのなくなってしまったひと、それが空山基である。

空山さんはいま、商業イラストレーションではなく、オリジナルのドローイングを国内・海外のギャラリーで展示販売する、画家としての活動に集中している。 ひょんなきっかけから訪れることができた空山さんの東京のアトリエは、広告や雑誌の誌面ではとうてい掲載することのできない、ものすごくエロティックな、ものすごく「洋物」的な――こっちをまっすぐ見据えながら、とんでもないことをされている美女たち――究極のピンナップ・イメージであふれていた。クールなアンドロイド美女や、SONYのAIBOのデザインでも知られるこのイラストレーターが、知らないうちにこんな「官能画家」になっていたとは・・。そしていま日本にある印刷メディアが、そういう作品をまったく掲載できない状態にあるとは・・。

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033 突撃! 隣の変態さん 円奴

男に生まれて、ゲイになって、女装子になって、ついに本物の女になったひと。

グラフィックデザイナー、イラストレーター、キャラクターデザイナーで、パフォーマーでありダンサーで、女装サロン・オーナーで、そうしていまは画廊経営者でもあるひと。

こんな経歴の持主って、ものすごく複雑で、ものすごく純粋なのにちがいない。円奴(まるやっこ)は、そんなふうにユニークな存在だ。

「新しいお部屋に引っ越したから、見に来て!」と誘われるままに上がり込んだ彼女の部屋は、めくるめく原色のワンルームおもちゃ箱。ポップでサイケデリックでクレイジーな超過密空間だった。そうしてソファ兼ベッドの端っこに座って、足元にじゃれつくパピヨンの「ピ介」と一緒に聞いた彼女の半生記は、さらにポップでサイケでクレイジーだった!

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034 夏の終わりの絶叫体験

バブルの酔いから日本中が覚めきらなかった1992年、後楽園ゆうえんち(現・東京ドームシティアトラクションズ)で『ルナパーク』というイベントが始まった。

これまで子ども向けだった遊園地を、オトナが夜遊びに来れる場所にしようという夏季限定企画のルナパーク内で、異彩を放っていたのがお化け屋敷だった。それまで常識だった場面ごと、部屋ごとに怖がらせるスタイルではなく、屋敷全体にひとつのストーリーを設定し、そのストーリーにお客さんが能動的に関わっていくという、かなり現代演劇的なアプローチだった。

後楽園ゆうえんちのお化け屋敷は、毎年ストーリーを新しくつくりかえながら、今年でなんと20年、20回目になるという。20年間の歴史をつくりあげてきた、日本でただひとりの「お化け屋敷プロデューサー」、五味弘文さんにお話をうかがった。

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035 ロボットレストランというお祭り空間

新宿歌舞伎町の中心部、区役所裏の超一等地に、ロボットレストランがいきなり姿をあらわしたのがこの7月のこと。大通りを走り回るロボット・カーに度肝を抜かれ、道端で配られたティッシュの「オープン迄にかかった総費用・総額100億円」の文言に二度ビックリ。で、ロボットレストランというから、ロボットがサービスしてくれる、未来型ハイテク・レストランかと思いきや、肌もあらわなセクシー美女たちが踊ってくれる「ロボット&ダンスショー」が楽しめる、シアター形式の店だった。

巨乳ビキニ美女たちがフロア狭しと踊りまわったり、いろんなロボットが登場したりするのを、驚いたり喜んだり、携帯で写真撮ったりしながら、あいまに弁当を突っついたりしつつ、ツイッターで友達に自慢もしつつ、歓声上げてるうちにあっというまの1時間。最後に出演者の女の子たちとハイタッチを交わし、固く再訪を誓ってフロアをあとにする・・・という流れだ。

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036 海女の群像

写真って、どう撮るかよりも、撮らせてもらえるまでにどう持っていくかの勝負なのかも、と思うことがよくある。親しくなって、カメラを持った他人がその場にいることが、だれの気にもならなくなって、気配を消せるところまで持っていけたら、それはもう撮影の大半を終えたも同然、ということがよくある。

このほど10年ぶりに再刊されたという『海女の群像』という写真集を見た。撮影者の岩瀬禎之さんは1904(明治37)年生まれ。すでに2001(平成13)年に97歳で亡くなられているが、千葉・御宿の地で江戸時代から続く地酒「岩の井」蔵元として酒造りに励みながら、長く地元の海女たちを写真に収めてきた。本書はもともとその記録を昭和58年に私家版としてまとめたものが、平成13年に復刻出版され、さらに翌年増補改訂版が出されて、今回が4度目の再版になるのだという。アマチュアの写真集としては、異例な展開だろう。

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撮影:岩瀬禎之


037 黄昏どきの路上幻視者

なるべくアメリカっぽく、アメリカのヒップホップっぽくあること、というグローバリゼーション。自分の国の言葉で、自分の国でしかできないヒップホップを探すこと、というローカリゼーション。つねにこのふたつのサイドがせめぎ合ったり共存したりしながら、過去20年あまりのストリート・カルチャーは形づくられてきたと言っていい。

日本全国のシャッター商店街や、トンネルや線路脇で、グラフィティはもはや「ふつうにそこに」ある。でも、長いあいだ日本のグラフィティは、そのクオリティは本家に引けを取らないものであっても、あまりにアメリカそのものだった。

それがここ数年、ようやく日本ならではのグラフィティの進化形が出てきたように思える。たとえば北の国・札幌からザ・ブルーハーブが、まったく新しい日本語のラップを突きつけたように、ほかのどこにもないようなストリート・アートのかたちを提示する作家のひとり、それが仙台のSYUNOVEN=朱乃べんだ。

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038 日曜日のゾンビーナ

六本木ミッドタウン正面の、とある店。日曜午後のほがらか気分でドアを押し開けると・・・いきなりゾンビが襲ってきた! 「いらっしゃい~~」とくぐもった声を出しながら、ぶらぶら腕を伸ばして迫ってくる・・・ああ気持ち悪い!

知る人ぞ知る六本木の隠れフェティッシュバー「CROW」を舞台に、毎月最終日曜日に開かれているのが「ソンビバー」だ――「最初は2010年10月に、赤坂のクラブでハロウィンパーティに呼ばれて、そこでなんかやろうと立ち上がったのがこの企画なんです」と教えてくれたのが、ゾンビーナ2号のナオミさん。「それまでエロくてかわいいのはいっぱいあったけど、グロくておもしろいのってなかったでしょ」。はい、確かに!

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039 センター街のロードムービー

いまから数年前、日本でいちばんスリリングな夜があった時代の渋谷センター街に、生きていた男の子と女の子たちだ。焦点の合った主人公と、その向こうのぼやけた街並み。鮮やかで、しかもしっとりしたカラー(それはウォン・カーウェイの撮影監督だったクリストファー・ドイルや、ベンダースやジム・ジャームッシュのロビー・ミューラーのような色彩感覚)。1枚1枚のプリントに閉じ込められた、なんとも言えない、時代の空気感。この素晴らしい写真を撮った鈴木信彦さんは、プロの写真家ではなく、仕事をしながら週末渋谷に通うだけのアマチュア・カメラマンなのだという・・。

鈴木信彦は1964(昭和39)年生まれ。ちょうど今週48歳になる。生まれたのは杉並区和泉。ただその少年時代は、かならずしも順調なものではなかった・・・。

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撮影:鈴木信彦


040 アートと地獄とメイドとクソゲーと

クルマで行けば福岡中心部から40分ほど、しかしバスで行こうとすると(鉄道駅はなし)、3つも乗り継いだ上に徒歩20分以上、タクシーだと「いちばん近い駅から片道1800円」。しかも開館日(休館日ではなく)は毎週日曜と祝日の12~18時のみ。さらに1月2月は「冬眠のためお休み」! こんなにハードルが高くて、こんなに地元でも知られてなくて、こんなに楽しい不思議なミュージアム、それが筑紫郡那珂川町の『不思議博物館』だ。

「妄想のパラダイス」とサブタイトルがついた不思議博物館を、ひと言であらわすのは難しい。「館長」と呼ばれる造形作家・角孝政(すみ・たかまさ)さんの立体作品とコレクションを集めたミュージアムであり、同時に「不思議子ちゃん」と名づけられた女の子たちが迎えてくれる、メイドカフェでもある。「日本一有名なクソゲー」を、特製巨大コントローラーで遊べる場所でもある。

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041 ある秘宝館の最後

札幌中心部から1時間弱のドライブ、定山渓温泉の北海道秘宝館を初めて訪れたのは1994年のことだった。その秘宝館が廃墟になってしまっているという悲しい情報を得て、久しぶりに行ってみる。

館の周囲には雑草が生い茂り、壁面はグラフィティだらけ。入口ドアも管理者によって厳重にロックされている・・・はずなのに、腐りかけた鉄扉の、下のあたりがぐにゃっと曲がって、内部に侵入可能だった!

内部は真っ暗。展示品はほとんど壊されている。ガラスケースは無残に破壊され、でもケース内の展示物は、意外にそのまま残っていたりする。人形たちも、たぶん何人かで放り投げたのだろう、そこいらに転がされ放置されているし、剥製も倒されてはいるものの、持ち出されているものはあまりないようだ。発情してるシマウマの剥製とか、いらないよなあ・・・。

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042 痛車賛歌

「いたしゃ」と言われて「イタ車」を連想するのか、「痛車」を連想するのか、君はどちらのタイプだろうか。

その痛車の名作群を2009年から撮影しつづけているのが、坂口トモユキだ。 プロの写真家である坂口さんに、撮影技術を誉めても筋違いだろうけれど、その画像は車体の隅々、内部にまで完璧に光が回り込み、大型カメラと大判フィルムでしか捉えきれないような細部のシャープさがひと目で見てとれて、リアルすぎる「物体感」が、かえって非現実感覚を醸し出している。描き込めば描き込むほどリアリティが増すも絵画が、ある地点を越えると、リアルを突き抜けたスーパーリアルになっていくように。

自動車撮影専用の大型スタジオで、ずいぶんお金と時間をかけて撮ったんだろうと思ったら、なんと深夜の駐車場の片隅でゲリラ的に、小さなストロボをいっぱい並べて、デジカメでタイリング撮影(1枚の画面を、いくつかに分割して撮影、あとで1枚に結合させる技術)したものだと聞いて驚愕。それはデジタル技術を駆使した、写真による細密画だったのだ。

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撮影:坂口トモユキ


043 金いろの夜

いま、日本各地で「町おこし」という錦の御旗のもとに数多くのアート・イベントが開かれている。でも、いくら高名な外国作家を招いても、子供たちを招いてワークショップなりをやってみても、地元の人々の日常と、遠くから来て終わったらさっさと帰っていく「現代美術作家」たちの難解な作品との距離は、埋めようがない。

しかし別府温泉を舞台に3年にいちど開かれる『混浴温泉世界』では、ハイ・アートとロウ・アートが渾然一体となった、独特の空気感を醸し出している。その象徴となる存在が、2009年に閉館した大分県唯一のストリップ劇場「A級別府劇場」を改修し、「永久別府劇場」として甦らせたプロジェクト「混浴ゴールデンナイト」だ。

そこでは週末毎にさまざまなダンスやパフォーマンスアート・イベントが開催されるのだが、その全公演に出演していた唯一のグループが「The NOBEBO」。女ふたり、男ひとりからなる金粉ショー・ダンサーズだった。

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044 ソウル大竹伸朗展

韓国ソウルで『大竹伸朗展』が開幕した。場所はアートソンジェ・センター。ファッショナブルな街・三清洞にあるアートスペースの、1階から3階まで、全館を使った大規模な個展だ。

大竹伸朗のもとに今回の展覧会オファーが舞い込んだのは、いまから1年と少し前のこと。そして会場の下見に去年のクリスマスごろソウルを訪れたとき、「最初に感じたのが、ソウルはまだまだネオンが現役なんだなってこと」だったという。

そこで展覧会スタッフに、使用済みで廃棄物となったネオンを集めてもらうよう依頼。1年近くかけて集まった230本あまりのネオンを、「設計図とかも作りようがないから」、今回現地に入ってから1週間あまり集中的に作業して、いわばインプロビゼーションのように組み上げ、配線していった。それが3階に設置された『拾光景/ニューソウル』である。

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045 捨てる神と拾う神

捨てられてしまうもの、忘れられてしまうものを集め、記録するようになってずいぶんたつが、その道の大先輩であるひとりが森田一朗さんだ。その森田一朗さんが昭和40年代からずっと集めてきた、「すてかん」のコレクション展を開く。

すてかんとは「捨て看板」のこと。足がついている縦に細長いタイプが最近では多くなったが、もともとは通常のポスターを段ボールやベニヤ板に貼ったものを、針金で電柱などにくくりつけた「簡易お知らせボード」的な存在である。

「捨て」というぐらいだから、寿命の短いすてかんは、興行の告知に使われることが多かった。プロレス、コンサート、ストリップ・・・道端に無造作に、無遠慮にくくりつけられた原色のすてかんが、街の風景の一部として当たり前だった時代が、いまから30年前ごろまではたしかにあった。森田さんが集めてきたのは、そういう「昭和のかけら」なのだ。

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046 ウィークエンド・ハードコア

音楽で食えればかっこいい。食えない音楽にしがみついてるのはかっこわるい――世間はそう思ってる。でも、いい年して、それでも音楽を捨てたくないから、仕事をしながら楽器を離さない。会社にも行くけれど、週末はステージに立ち続ける。40になっても、50になっても。そういう生き方と、売れて億のカネはもらえるけれど、レコード会社やテレビ局や広告代理店の言われるままにプレイしている“アーティスト”と、どっちが純粋だろうか。

頭皮から50センチ以上は逆立ってるトサカ・ヘアー。全身黒づくめ、Tバックで露出した尻には片方ずつ「売」と「女」のマジック殴り書き。ステージに立てば、「テメエのチンコに味噌汁ぶっかけて、ケロイドにしてやるぜぇ~!」なんてヴォーカルにあわせて、激しくギターをかきむしる。ハードコアとお笑いを合体させた異形のロックバンド『流血ブリザード』のギターをつとめるミリー・バイソンだ。

そしてそのミリーさんは、西武新宿線沿線の駅から徒歩10分ほどのアパートに住みながら、昼は派遣社員としてOLスーツで出勤、夜は地元のスナックでバイトを掛け持ちしながら、音楽活動を続けている。

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047 8トラックのエロ

もうずいぶん前、大阪の場末のオトナのおもちゃ屋を訪れたときのこと。いろいろ物色、購入してきたなかに、「声のお色気ドラマ」である8トラック・エロテープが何本かあった。

そのとき入手したテープは、長いこと本棚の隅に積んで放ったらかしのままだったが、最近になって「8トラック・エロテープのすごい収集家がいて、コンピレーションCDも作ってますよ」と教えてくれた友人があり、それはゲイリー芦屋さんというミュージシャンだった。

ゲイリー芦屋さんは、岸野雄一さんと『ヒゲの未亡人』というユニットを組んで長く活動しながら、黒沢清監督の映画監督をはじめ、さまざまな分野での音楽活動で知られている。現在46歳、8トラック・テープの黄金時代である1960年代末から70年代には、まだ赤ちゃんから小学生だったわけだが、「でも、テープの背の感じとか、なんか懐かしい記憶があるんです」という。

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048 食の無限天国「聚楽ホテル」で煩悩全開!

かつては団体様用の貸し切り観光バスがひっきりなしに吸い込まれていった巨大観光ホテルも、めっきり影が薄くなってしまった。飯坂温泉もコンクリート造のホテルが並んでいて、中でもいちばん目立つのが『聚楽ホテル』だ。

部屋に荷物を置いて、ひと風呂浴びたら大宴会場へ。お刺身からステーキ、ケーキにソフトクリームまで、ずらり並んだ完全無国籍バイキングを、「寿司もいいけど麻婆豆腐もいいし、ローストビーフもいちおう押さえたいし・・・」とか迷いながら、好きなように組み合わせ、好きなだけ食べて大満足。

それからスナックで、コンパニオンを侍らせたオヤジ・グループを横目で観察しつつ水割り&カラオケ絶唱。歌えばカロリーも消費するから、居酒屋コーナーに移動して、夜更けの生ビールとラーメンと餃子・・・あとは部屋に帰って、蒲団に倒れ込むだけだ。目が覚めたら、また和洋中せいぞろいの朝食バイキングが待ってるし、お土産も買わなきゃならないし・・・。

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049 ブローニュの森の貴婦人たち

深い緑の森の夜、フラッシュに浮かび上がる挑発的な女。ビニールの花のごとく地面を覆う使用済みのコンドーム・・・。パリ、ブローニュの森にあらわれる娼婦たちの生態である。

パリ市街の西側に広がるブローニュの森。凱旋門賞のロンシャン競馬場や、全仏オープンのロランギャロスも含むこの広大な森林公園が、昔から娼婦や男娼の巣窟としても有名だったことを知るひとも少なくないだろう。そういえばあの佐川一政が、死姦し食べ残した遺体を捨てようとしたのも、この森のなかだった。陽と陰がひとつの場所に、こんなふうに混在するのがまた、いかにもパリらしいというか。

中田柾志という写真家の存在を知ったのは、彼が2005年から2009年にかけて撮影された、ブローニュの森の娼婦たちを捉えたシリーズだった。

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撮影:中田柾志


050 追悼・浅草のチェリーさん

浅草を歩くと、いつもそのひとがいた。六区のマクドナルドあたりに、小さなからだを独特のセンスの服で包んで、ふらふらと立っていたり、道端に座り込んでいたり。チェリーさんとも、さくらさんとも、あるいはただ「おねえさん」とも呼ばれてきたそのひとは、道行く男たちに声をかけ、からだを売る、いわゆる「立ちんぼ」だった。だれかに声をかけたり、かけられたりしているところを見たことは、いちどもなかったけれど。

ほとんど浅草の街の風景の一部と化していた彼女が、亡くなったらしいと聞いたのは去年の年末のことだった。その詳しい経緯は、彼女の生きてきた人生と同じく、だれも知らないのだが、でも彼女がいたあたりには花や、大好きだった缶コーヒーが供えられていると地元の友人に教えられて、僕は浅草という街の懐の深さに、あらためて感じ入った。道端で倒れた売春婦のために花を手向ける街なんて、浅草のほかどこにあるだろうか。

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撮影:鬼海弘雄


051 隣人。―― 北朝鮮への旅

去年末、北朝鮮を撮影した写真集が出版された。タイトルは『隣人。――38度線の北』。撮影したのは初沢亜利(はつざわ・あり)という日本人のカメラマンだ。

北朝鮮の写真と言われただけで、思い浮かぶイメージはいろいろあると思う。でもこの本の中にはボロボロの孤児も、こちらをにらみつける兵士も、胸をそらした金ファミリーの姿もない。

そもそも隠し撮りではなく、真っ正面から撮影されたイメージは、遊園地でデートする若いカップルであったり、卓球に興じる少年であったり、ファストフード店で働く女性や、海水浴場でバーベキューを楽しんだり、波間に寄り添う中年夫婦だったりする。言ってみればごくふつうの国の、ごくふつうの日常があるだけで、でもそれが他のあらゆる国でなく、「北朝鮮」という特別な国家のなかで撮影されたというだけで、この本は特別な重みをたたえている。

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撮影:初沢亜利


052 グラフィティがかき乱す台北のランドスケープ

台北で出会ったグラフィティ・アーティスト「CANDY BIRD」。中国本土でも台湾でも、現代美術の世界では基本的にコンセプチュアルな作家、作品が大多数で、キャンディ・バードのようなストリート・レベルのアーティストが、いまどれくらい増えてきているのか、まだわからない。でも、なにかが起こっている感触は、確実にある。

美大卒なのにグラフィティ・アーティストで、先鋭的な社会派で、「極貧に近い」とみずから語る生活で、しかも敬虔なチベット仏教徒。メッセージ性に富みながら、優しさと哀しみのペーソスとユーモアが画面からしたたり落ちる、いわゆるグラフィティというよりむしろ、コンクリートのキャンバスに描かれた絵画と呼びたくなる画風。

キャンディ・バードは1982年台北生まれ。華梵大学芸術学部を卒業した、今年31歳になる若いアーティストである。大学のときのあだ名が「鳥」だったのと、往年のバスケットボールの名選手ラリー・バードが好きだったので、「Facebookを始めるために、てきとうにつけた」芸名がキャンディ・バードだったという。

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053 常滑、時間をさかのぼる旅

急速に開発が進んだ町でありながら、常滑の中心部には見事なまでに昔ながらのたたずまいが残っている。それも歴史遺産として「保全」されているのではなく、地元のひとびとがふつうに働き、住み暮らす場として。

「やきもの散歩道」というルートに従って歩き出すと、すぐに目につくのが、土管や植木鉢などの陶製品を積み重ねて民家の土台や、道路の補強にしている独特の景観だ。

製造過程で生じた「ペケ品」と呼ばれる不良品を、「いっぱいあるんだからどんどん使おう」という感じで、どんどん積み上げて形成された土台や道端の土手。それを「産廃仕上げ」と表現している本もあって、なるほどと思わされたが、「リサイクル」などという小洒落た思想が蔓延するはるか以前の、庶民のたくましき知恵、ともいうべきエネルギーがそこにはある。大ざっぱで、無頓着で、ユーモラスで。

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054 ノリに巻かれた寿司宇宙

清田貴代さん(通称・たまちゃん)はイラストレーターが本業だが、「巻き寿司アーティスト」でもある。ノリにおおわれた真っ黒の巨大なカタマリを俎板に置いて、おもむろに包丁を入れると・・・あらわれるのが見事なモナリザだったり、阿修羅だったり、ハダカの女だったり、果てはウンコだったり! それがまた単に金太郎飴のように「どこを切っても同じ柄」なのではなくて、切る場所によって微妙に絵柄が変化したりもする。

デコ弁と同じようでいて、実は正反対にあるテイスト。食べ物が「見世物」にもなっていて、それを食らうことの楽しさと不気味さを完璧に理解していて。かわいさを装いながら実はダークな食物芸術世界。それがたまちゃんの巻き寿司アートなのだ。

たまちゃんは東京新宿生まれの新宿育ち。お父さんは会社員、お母さんは結婚前まで洋裁店を開いていた。器用なお母さんからたまちゃんは、「あんたは不器用だ」といつも怒られていたらしい。

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055 六畳間のスクラップ宇宙

数か月にいちど、岐阜県内の消印を押した分厚い封筒がうちに届く。中にはいつも近況を書いた短い手紙と、写真の束が入っている。サービスサイズのプリントに写っているのは、数十枚のスクラップブックのページを複写したものだ。

山腰くんがこんな手紙を送ってくれるようになってから、もう何年たつだろう。岐阜市に住むこの青年はアルバイトの毎日を送りながら、ひっそりと、膨大な量のスクラップブックを作り続けて倦むことがない。どこにも発表することのないまま。

彼の生活空間とスクラップ制作の現場である小さな空間、しまい込まれたスクラップブックのボリュームは、僕の想像をはるかに超える密度の、いわば切り抜かれた女体のブラックホールだった。イメージも、欲望も飲み込んでしまうブラックホールが、岐阜の片隅の、こんなアパートの六畳間に潜んでいようとは・・・。

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056 グラフィティの進化系――KaToPeの幻想世界

急に若者系の店が目立つようになった北千住の、新しい空気を象徴するような店のひとつが『八古屋』(やこや)。そこに飾られていたのがKaToPeの作品だった。

KaToPe(カトペ)はグラフィティ・アーティストだ。去年の紹介した仙台在住のSYUNOVENと同じく、それまでアメリカのフォローからなかなか抜け出せないでいたグラフィティの世界に、優れてオリジナルな日本的表現を引っさげて登場した、新世代のアーティストのひとりである。

KaToPeは1976(昭和51)年、北千住からほど近い足立区西新井に生まれた。今年36歳、平日は実家であるプレス工場で働きながら、時間を見つけて絵を描き続けている。

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057 シャム双生児の夢

ヒトの頭をした犬がいる。水頭症の子供がいる。シャム双生児がいる・・・鵜飼容子の描く画面、立体の造形は、現代美術画廊のホワイトキューブ空間に、どこかの時代からいきなりワープしてきた見世物小屋のようだ。場末の奇形博物館のようだ。そしてそれらは確かに不気味だけれど、同時にどこか神々しくもある。かつてさまざまな文明で、奇形や不具の人間が「神に愛でられた存在」であったように。

鵜飼容子は1966(昭和41)年生まれ、46歳の画家だ。生まれ育った鎌倉の地で、週の半分は通いの仕事で生活を支えながら、静かに絵を描いて暮らしている。鶴ヶ岡八幡宮の奥に広がる深い森からほど近い彼女のアトリエは、その環境からしていささか浮世離れした空気の中にあった。

付近を散策してみれば、往年の映画に出てきそうな巨大な洋館があるかと思えば、鎌倉きっての心霊スポットである「北条高時腹切りやぐら」(鎌倉幕府最後の執権、この地で一族郎党870余名とともに自害したと伝えられている)も、アトリエから歩いて数分の距離だった――。

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058 負け組音楽映画の真実

『アンヴィル』に続く音楽好き号泣必至映画『シュガーマン』。「事実は小説より・・・」なストーリーはもちろんのこと、ロドリゲスの音楽も、彼の音楽によって人生を変えられた多くの人間の描写も素晴らしく、これは音楽という奇跡によって結ばれた群像劇でもある。

1970年にデビューアルバム、その翌年にセカンドを発表しながら、アメリカではまったく売れず、音楽シーンから姿を消してしまったロドリゲスの音楽が、不思議なめぐり合わせで南アフリカで大ヒット。ビートルズやストーンズと同格の扱いを受け、反アパルトヘイト最大のメッセージ・ソングにもなりながら、本人はまったくそのことを知らされない。南アフリカでのレコードやCDの売上も、なぜか彼のもとには入ってこなかった。そしてレコード会社からお払い箱になったロドリゲスは、建築現場などで汚れ仕事に従事しながら、だれもいない場所で自分の歌をあたためてきた。

「最後に売れたロドリゲス」になることは難しいけれど、「最後まで売れないロドリゲス」になることは、僕にも君にもできる。それを世間は負け組と呼ぶのだろうけれど。人生にかならずいちどはやってくる「汚く勝つこと」と「きれいに負けること」の分かれ道で迷う瞬間。そのときロドリゲスの歌声は、君にどう聞こえるだろうか。

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059 祈りの言葉が絵になるとき

奈良のアーティストからある日、薄いパンフレットが届いた。地元のアマチュア・アーティストの展覧会カタログだそうで、表紙には穏やかな表情の仏画と、「伊東龍宗 Tatsumune Ito」という作家名だけが記されている。

興味津々でページをめくってみると、中身は仏様や観音様や、梵字を白い紙に線描したものばかり・・・でも、ところどころに掲載されているディテールのアップ画像を見て驚いた。単なる黒線に見えていたのが、実は漢字の連なりだったのだ! 伊東さんは、長い闘病生活の末に去年、ちょうど展覧会の会期中に亡くなったのだが、病気の痛みを忘れるために般若心経で仏画を描きつづけてきたというのである。

それは般若心経を文字サイズにしてわずか1ミリほどで書き連ねながら、見事な仏画に昇華させるという、驚くべき技術と情熱の賜だった。

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060 石巻のラスタファライ

東日本大震災で壊滅的な被害を受けた石巻は、「ロッカーズ・タウン」と呼ばれるほどレゲエ・ミュージックが盛んな土地として、東北の音楽好きには知られてきた。

東北最大の都市である仙台よりも、はるかに濃密なカウンター・カルチャーの気配を感じさせる石巻のグルーヴ。そのような石巻ミュージック・シーンの立役者というか、ムードメイカーというか、伝説的存在というか、とにかく石巻の象徴のような存在、それがレゲエ・シンガーである「ちだ原人」だ。そして彼もまた、3.11ですべてを失った被災者のひとりである。

ものすごくメガ盛りなドレッドヘア、ものすごく日焼けした顔と、うるんだような優しい瞳、夏は半裸体、厳冬期でも足元は素足にゴムゾーリという、いちど見たら忘れられないインパクトを放つ「ちだ原人」は、1958年に石巻市で生まれた。実家は石巻にまだそのまま残っているが、ちだ原人がふだん住み暮らすのは軽のワゴン。これで九州でも北海道でも行ってしまうし、必要な物はぜんぶ積んであるので、彼にとってはなんの不足もない移動式住居だ。

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061 死刑囚の表現・展

広島県福山市の鞆の津ミュージアムで開催される『極限芸術 ― 死刑囚の表現 ―』は、個人的に今年いちばん重要な美術展になるはずだ。

タイトルどおり、この展覧会はいま日本国内に130余名いる死刑確定者や、すでに刑を執行された受刑者による絵画展。展示される作品は総数300点以上になるという。

いずれもいま死刑囚となって処刑の時を待っていたり、最近死刑を執行された受刑者たちによる絵画。それは死刑囚、ということですぐに思いつく宗教的なモチーフもある。でも、そういうのはむしろ少数派で、裸の女やスーパーカーを描いたものもあれば、怒りや怨みに満ちた画面もあり、緊張にあふれた抽象画もある。拘置所が課す制約のせいだろう、大半は小さな画面だが、なかには用紙を貼り合わせた巨大な作品もある。そうしてそのすべては、「アート」とか「アーティスト」とかの意識のはるか彼方にある、恐ろしいほど純粋な「思い」だ。

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「国家と殺人」林眞須美


062 極楽行きのディスコバス

貧富の差が著しいタイで、ポップ・カルチャーを下支えするのはバンコクのハイソなインテリではなく、郊外の工場で働いたり、農村で泥まみれになったり、田舎から都会に出てきてハダカ勝負しながら、故郷に仕送りしてる若い男女だ。

そしてそういう若者たちが聴いたり、踊ったりする音楽は、みずからの厳しい状況と対極にあるような、激しい多幸感にあふれたビートだったりする。パッポンのゴーゴーバーでかかっている音楽も、東北地方からの労働者が週末ごとに集まる、郊外のビアガーデンで奏でられるライブバンドの音も、みんなそうだ。

そういう音楽を満載して、とびきりのサウンドシステムと、とびきり過剰なエレクトリック・ドレスアップを施して、田舎のハイウェイに君臨する「走るディスコ」! それはつかのま乗客たちをトリップさせてくれる、極楽行きのマジック・カーペットであるにちがいない。

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撮影:渡邊智昭


063 原色の寝室

タイ各地の「日式」ラブホテルをめぐる旅。今週はチェンマイの『アドヴェンチャー・ホテル』にお連れしよう。

チェンマイの旧市街はいかにもオールド・タイの風情にあふれているが、アドヴェンチャーがあるのはチェンマイ空港からクルマで5分という大通りの交差点。なのでラブホテルとしてだけでなく、家族連れや団体客にとっても便利なロケーションにある。

2006年4月にオープンした、まだ真新しい雰囲気が漂うアドヴェンチャー。現在は72室、11パターンの部屋が用意されている。「アンダーウォーターワールド」「ハーレム」「ジュラシック」「バレンタイン」・・・などとテーマにそって名付けられた部屋は、どれもかなりゆったり広々したつくり。デュプレックスの部屋もけっこうあって、「自動車旅行中の家族連れや、団体客にもよくご利用いただいてます」と言うのも納得できる。

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064 長距離ロッカーの孤独

札幌の小さな映画館で、あるドキュメンタリー映画が1週間だけ公開された。主人公は札幌在住の、まったく売れない中年ミュージシャン。監督はこれが映画初挑戦という、美容院とスープカレー屋の経営者。いったいこれ以上、地味な組み合わせがあるだろうか・・・。

『KAZUYA 世界一売れないミュージシャン』とは、こんな映画だ――。

ほぼ札幌のみで活動するミュージシャンKAZUYA。
メジャーデビューを誰もが疑わなかったが、10年間活動したPHOOLが解散し、その後のソロ活動も全く売れずいつの間にか51歳を迎えてしまった。
才能はあるが集客は無し・・・20年間定職につかず音楽だけの日々。
売れないミュージシャンの苦悩の生きざまを追ったドキュメンタリー映画。
そんなKAZUYAが10年振りにアルバムを制作し奮闘をはかる!!

KAZUYAは北海道網走関内の白滝村に生まれた。今年54歳になる。

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065 一夜漬けの死体

新宿でも、渋谷でも池袋でもどこでもいい。東京の夜の街を初めて歩く外国人がいきなり度肝を抜かれるもの――それは道端に倒れている人間たちだ。

欧米社会では公共の場所で泥酔という状態が、すでにタブーであるし、発展途上国で酔っ払って倒れているのは、そのまま身体の危機に直面する。たしかに東京、そして日本各地の繁華街ほど、酔っぱらいに寛容な場所は世界を探してもないかもしれない。

そういう電池切れの人間たちばかりを、もう8年間もしつこく撮り続けているカメラマンがいる。1977年生まれ、36歳の川本健司さんだ。そうしてその写真は、ドキュメンタリーであることを超えて、ときには不気味な死体写真に、ときには無名の役者たちによる、不条理な街頭演劇に見えたりもする。まったく作為のない「現場写真」でありながら、過度なまでにドラマチックでもあって。

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撮影:川本健司


066 民謡酒場のマスター・オブ・セレモニー

昭和30年代からの高度成長期には東京、それもいまはソープ街として知らぬもののない吉原を中心に、数十軒の民謡酒場が盛業していた。しかし現在では浅草、吉原、向島と、わずか3軒ほどしか残っていない。

民謡酒場は民謡好きなお客さんたちが、飲んだり食べたりしながら、好きな民謡を店のひとの尺八や三味線、太鼓の伴奏に合わせて歌って楽しむ、という場所である。

そういう場所で、歌いたい客の順番をさばくのは通常、店のマスターやママの役割だが、ときとして司会者が登場することがある。お客さんたちを順番に舞台に上げながら、適当にダジャレで遊んでみたり、客イジリをしてみたり。そうやって雰囲気を盛り上げていく「民謡酒場MC」で、もっともよく知られる大御所が小林寛寿さんだった。

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067 ガラクタ山の魔法使い

「マンタム」という不思議な名前を持つ彼は、古物商=古道具屋でありながら、自分のもとに集まってくるガラクタを素材に、なんともユニークな立体作品をつくりあげるアーティストでもある。

扱うもののユニークさで、古物商としても業界で知らぬ者のない存在であるマンタムさんは店舗の改装、インテリア・インスタレーションも依頼されたり、ワークショップも主宰するという、世俗離れした風貌からは想像もつかない多忙なスケジュールをこなす、ワーカホリックでもある。

そんなマンタムさんの倉庫兼アトリエ兼住居は厚木市内の、田畑と住宅が入り混じるのどかな地域にある。「そちらにおじゃましてお話を・・」とお願いしたら、「いや、来ないほうがいいです、凄まじすぎますから」と言われて興味津々、「凄まじい部屋はいっぱい見てきましたから」と無理にお願いし、行ってみたら・・・ほんとに凄まじかった!

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068 笑う流れ者

『笑う流れ者 木股忠明の思いで』――仙台、新宿ゴールデン街、神奈川県綱島・・・同時多発的に小さな写真展が、ひっそりと開かれている。

1970年代末期から80年代にかけて、日本の音楽業界がインディーズ・ブームというものに浮き立っていたころ、それとは一線を画した場所で、ずーっと小さくて暗い片隅で、ふつふつとうごめくエネルギーがあった。

灰野敬二、工藤冬里、山崎春美、向井千恵・・・彼らが、ほんの一握りの聴衆のためにステージで音と格闘しているとき、そこにはいつも木股忠明がいた。

木股忠明は1982年に『アラスカ』という小さな写真集を500部だけつくって、それからさまざまな職を転々としたり、地を転々としたりしたのち、2007年ごろに消息を絶って、いまも行方不明のままである。

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撮影:木股忠明


069 高知のデルタ、本山のミシシッピ

高知市から国道32号を北に向かい、緑深い山沿いのワインディングロードに入って約1時間。本山町をすぎたあたりのカーブを曲がったとたん、ものすごくカラフルに塗りこまれた一軒家が視界に飛び込んでくる。

かわいらしいシャレコウベの看板脇に書かれている店名は『CAFE MISSY SIPPY』。アメリカのミシシッピ州と、「ちびちび飲るお姐さん」みたいな英語をかけて、アメリカのどこかのカレッジタウンにあればニヤリとするような名前だけど、高知の山中ではちょっと浮いている感じもする。ここが絵描きで、写真家で、スライドギターの名手でもあるブルースマン・藤島晃一のホームベースなのだ。

藤島晃一さんは生まれ故郷である本山町で『CAFE MISSY SIPPY』と、道を挟んだ向かいの川沿いにある、もとは紡績工場だった広い建物を改造してライブや展覧会のための空間にした『Mojoyama Mississippi』という、ふたつの場所を奥さんの信子さんと、仲間たちといっしょに運営している。

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070 ROADSIDE RADIO 渋さ知らズ

毎回毎回、好きなミュージシャンのライブを1時間もオンエアするインターFM・ロードサイド・ラジオ。ミュージシャンを選ぶ基準は「知られてないけど、こんなすごいひとがいる」というレア感よりも、むしろ「こんなにみんな好きなのに、どうしてラジオやテレビで聴けないんだろう」という疑問というか、焦燥感をまず基準にしています。

僕らが聴きたい音楽と、業界が僕らに聴かせたい音楽がものすごくちがってしまっているところに、今日の音楽業界の根本的な問題があるわけですが、そういう意味で日本のみならず、世界的なレベルでものすごく人気があるのに、めったにマスメディアに乗ってこない音楽。その代表が「渋さ知らズ・オーケストラ」ではないでしょうか。

1989年結成ですから、もう24年目になる渋さ知らズ。どんどん変容を重ねて、いまでは舞台上のミュージシャンだけで20人とか、それにダンサーも5人とか10人とか出ていて、もはや「渋さ的」としか言いようのないグルーヴと、カーニバルのような幸福感をふりまくライブを繰り広げる、ほんとうにユニークな音楽共同体です。

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071 少女の深海

探査船の強いライトに照らされて、闇の中で白く浮かび上がる生命体のように、濃紺の深海にたゆたう少女たち。高松和樹がたった2色で描き出す緻密な仮想現実は、見たこともない世界と、ひどく親しげな既知感を同時に抱え込んで、見るもののこころをざわつかせる。どこか懐かしい未来の風景のように。

通常のキャンバスではなく、運動会のテントなどに使われるターポリンという防水加工された白布をベースに、3DCGで制作されたイメージを野外用顔料でプリントし、その上からアクリル絵具で筆描きを重ねていくという、デジタルとアナログのハイブリッドのような特殊な技法で生み出される画面。それは少女や物体など描かれたモチーフと、画面に目を近づけてみるとベロアのようにザラリとして見えるマチエールのニュアンスが呼応することで、平面でありながら深い奥行きに、僕らを誘い込んでいく。

今年35歳の画家・高松和樹はずっと仙台で活動を続けつつ、すでに2009年ごろから東京のギャラリーで定期的に個展を開いてきた。

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『目ガ覚メレバキット新シイ世界ニ、』高松和樹


072 GABOMIという名の「そのまま」写真

高松の路面電車「ことでん」の、切符売り場の壁に異様なポスターが貼ってあった。檜造りの大浴場に、運転手さん車掌さんたちが、制服を着て風呂に浸かってる。別バージョンでは、ことでんの車両を風呂場に見立て、全裸で頭を洗ってる! なんですか、これ・・・。

『ことでん 仏生山工場』という写真集の著者でもあり、「いつもガボ~ンっていうのが口癖だったから、そんな名前がついたんです」というGABOMIさんが、その奇妙な写真の作者だった。

GABOMIは1978年生まれ、高松在住の写真家。カメラマンになってまだ数年目。でもその写真は、すごく正攻法だ。ちょっと、歳に似合わないほど。そんなに短いキャリアで、彼女はどうしてそんな境地に達することができたのだろう。師匠もなく、学校もなく、同世代の仲間も、だれもいないままで。

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撮影:GABOMI


073 ゼン・プッシーが閉じた夜

西荻窪という街には、独特の臭みがある。それは新宿とも下北沢とも、高円寺とも吉祥寺ともちがう臭みで、僕はそれにあまりなじめないでいた。そういう西荻で一軒だけ、ここなら安心して泥酔して気も失えるくらい好きだった店が南口の商店街を抜けた奥にあって、それは『ZEN PUSSY』という、名前からして異常な店だった。

東京のアウトサイダーみたいな西荻の、そのまたアウトサイダー・スポットのようだったゼン・プッシーが5月19日で9年間の歴史に幕を下ろして、もう2ヶ月になる。「ここがなくなったら、どこで飲めばいいんだよぅ」と、最後の日に涙を流していたオッサンたち。いったい今夜はどこで酔っ払ってるんだろう。

これは西荻という変な街につかのま大輪の毒花を咲かせた、とびきり奇妙な店の物語である。

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074 写狂仙人の教え

写真誌月例コーナーのご常連、山口市在住のアマチュア・フォトグラファー福田満穂さん。あくまでストレートでありながら、どこかファニー、しかもビザール。御年95歳にしていまだ現役バリバリのアマチュア・フォトグラファーである。

写真をだれかに習ったことはないし、クラブに属したこともない。「昔の本を読んで独学で」技術を習得して、「銀塩カメラをいじくって、暗室でゴソゴソやるのが楽しいんですね」。

だれにも教わらず、だれとも交わらず、だれとも似ていない写真を撮りつづけながら、「写真展や写真集で発表するなんて、考えたこともないです。めんどくさいじゃないですか」と涼しい顔で、カメラをいじくる95歳の現役老人。

「雑誌を見ても、いまの写真はなんだか判じ物みたいなのが多いですねえ」と言いながら、息子の嫁が淹れてくれる香り深いコーヒーをすする姿に、仙人の風格を見てしまうのは僕だけだろうか。

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撮影:福田満穂


075 雄弁な沈黙

九段といえば靖国神社。そのかいわいには、戦争関連展示施設が集中していることをご存知だろうか。靖国神社境内には「遊就館」という軍事関連展示場があるし、九段下には戦中戦後の昭和の暮らしを展示する昭和館がある。

昭和館のすぐ先には九段会館(旧・軍人会館)がそびえているし、35万柱余の戦没者遺骨を安置する千鳥ヶ淵戦没者墓苑もある。その中でもっとも知られていないのが、ビル街に隠れる「しょうけい館」だろう。

「しょうけい」とは語り継ぐという意味の「承継」から来た館名。別名に「戦傷病者史料館」とあるように、あくまで戦争によって負傷した戦傷病者とその家族の人生を描き出すことで、戦争の悲惨さを訴える史料館なのだ。

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076 瀬戸の花婿

瀬戸内国際芸術祭2013にあわせて女木島、高松、丸亀と3つの空間をまたいだ「大竹伸朗 3プロジェクツ」。まずは女木島の『女根』をご紹介しよう――

女木島のフェリー乗り場からぶらぶら歩いて行くと、数分であらわれるのが『女根』の舞台となる女木小学校。平成17年春から休校しているこの小学校は、長い不在の場所に特有の淀んだ空気感に、大竹伸朗による鮮やか、というより激烈と形容したくなる彩色が施されて、それはまったく異なるビートの音楽が重ねられて、ひとつの不思議な曲になるように、そこだけが奇妙にねじ曲がった空間に結実している。

それにしても『女根』とは、なんと奇妙なタイトルだろう。それは「女木島の根っこ」でもあるだろうし、高松港と女木島・男木島を結ぶフェリーの「めおん」という船名も思わせるし、熱帯の植物生態系を移したかのようなインスタレーションはメコン・デルタの「メコン」も想起させる。さらに「女根」という漢字から「男根」を想像しないひとはいないだろうし、それはそのまま女の木の島・男の木の島という、神話的なエロティシズムのニュアンスを色濃く漂わせてもいる。

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077 清掃員ガタロ――静かなるアート・ゲリラ

広島市中心部。原爆ドームすぐ北側の一角がかつて「原爆スラム」と呼ばれた、巨大なバラック住宅群だったことを、どれほどのひとが知るだろうか。

原爆スラムは、1970年代末に基町アパートと呼ばれる公営・公団アパート群に生まれ変わった。建ち並ぶその高層住宅棟の真ん中に位置するショッピングセンターに毎朝4時、手づくりの手押し車とともにあらわれる男がいる。通路だけで300メートルある商店街を、たったひとりで数時間かけて掃除しつづけ30年という清掃員であり、「清掃員画家」でもあるガタロさんだ。

昼近くまで商店街を清掃したあと、ガタロさんは用具倉庫を兼ねた小部屋にこもって、絵を描く。ボロボロになりながらも、文句ひとつ言わずに働いてくれる掃除用具、声をかけてくれる商店街のひと、ホームレスの青年・・・。河原、河川敷に落ちているものを拾い集めて生活する、屑拾いを意味する言葉を自称するガタロさんは終戦直後の昭和24年、原爆の爆心地から300メートルほどしか離れていないという広島市中心部で生まれた。現在63歳である。

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078 路上の神様

不思議なポートレイトのシリーズを見る機会があった。写っているのは似合わないスーツや改造制服に身を固めた少年だったり、見るからにオヤジでしかない女装家だったり、売れてなさそうなミュージシャンだったり、変な入れ墨の変な外人だったり、ホームレスだったり。

そういう人間たちがまっすぐカメラを向いて、レンズを通してこちらを見つめているのを、撮影者はまっすぐ受け止めているだけだ。そこには社会への問題提起もなければ、仲間意識も、「かっこわるいほうがかっこいい」みたいなひねくれたフェティシズムもない。すごく静かで、見ているうちにすごくこころをかき乱されるイメージ。

石倉徳弘はまだ29歳の若い写真家だ。茨城県土浦市に生まれ、いまはすぐそばの牛久市の小さなアパートにひとり暮らし。ネット関係の会社で契約社員として働きながら、休みのたびにカメラを持って街にでかけていく。

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撮影:石倉徳弘


079 優雅なファッションが最高の復讐である

イタリア人の写真家であるダニエル・タマーニは、もともと美術史を専攻していたが、数年前から写真の世界に身を投じ、当時住んでいたロンドンや、パリのアフリカ人コミュニティにとりわけ興味をもつようになった。

2006年、もとはフランスが宗主国だったコンゴ共和国を旅した彼は、首都ブラザヴィルで、異様なまでにスタイリッシュに着飾った男たちと出会う。それは「サプール」と呼ばれる、ヨーロッパ的なダンディズムを中央アフリカの地で体現した、ダニエルにとってまったく未知のグループだった。

映画でしか見られないような、おそろしくエレガントなアフリカン・ダンディ。しかし彼らの暮らす環境はエレガンスからはほど遠い劣悪なものだったし、所得も本来ならそんなファッショナブルな洋服など買えるはずもない水準だった。 それはどうしようもない現実に、「優雅な生活」という復讐の刃を突きつける、きわめてアグレッシヴなメッセージでもあった・・・。

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撮影:Daniele Tamagni


080 欲望をデザインする職人芸

佐々木景は1975年、東京都下・小金井に生まれた。いま38歳のグラフィック・デザイナーである。 AVパッケージのデザインを手がけるようになったのは、いまから10年ほど前のこと。「たまたま友達がAV業界にいたことから」始めた分野の仕事だった。

VHSのテープが一本5000円、1万円という時代から、AVのパッケージは購入者が手に入れることのできる、ほとんど唯一の情報源だった。表側の女優の写真で可愛さをチェックし、裏側に詰め込まれた極小カットと、小さな文字の連なりの行間を読み解きつつ、内容を吟味する。

それは気軽にレンタルできたり、ダウンロードで済ませられるようになった現在でも、基本的に変化することのない、まさに「眼光紙背」、ユーザーとデザイナーとのスリリングな勝負なのだ。

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081 幻視者としての小松崎茂

かつてあまりに身近にあったために、紙芝居という優れたビジュアル・エンターテイメント・メディアが、実は日本の発明であることを僕らは忘れがちだ。

復刊ドットコムからつい最近リリースされたのが『ウルトラマン紙芝居 小松崎茂 Complete Box』。ウルトラマンの紙芝居が、しかも「家庭用」にかつて販売されていたとは、まったく知らなかった。

紙芝居の話にはつねに「郷愁」というキーワードがつきまとうのだが、ウルトラマン紙芝居にノスタルジーは似合わない気がする。紙芝居の大判シートをめくるごとにあらわれる小松崎茂の絵は、純粋なファインアートでもなければ、単なるテクニカル・イラストレーションでもない。なんというか「素晴らしく精緻に描かれたアウトサイダー・アート」とでも形容したい、ファンタスティック・アートだった。

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082 モッシュピットシティ・ジャカルタ

「実はインドネシアって、パンクがすごいんです!」と驚きの情報を得たのはつい最近のこと。ジャカルタを中心にインドネシアにはパンク・キッズやオトナのパンクスがたくさんいて、それもストリート・チルドレンから低所得階級を巻き込んだ、マージナルな社会的存在になっているのだという。

いまや東京どころか、ロンドンにすら存在しないそのようなパンクスたちが、よりによってインドネシアの地で激しく生き抜いていること。そしてその厳しく閉鎖的な世界に、深く入り込み記録を続けている、唯一の日本人ジャーナリストがいること。しかもそのジャーナリストが、ちょうど東京に一時帰国中であること! 素晴らしい偶然が重なって、僕は中西あゆみさんにお会いすることができた。

あゆみさんがジャカルタに初めて足を踏み入れたのは、2005年のこと。シーンの内情を知るにつれ、パンクがただのカルチャーにとどまらない、インドネシアの社会構造と深く結びついた存在であること、しかもそれをきちんと外に知らせる報道がほとんどないことを知る・・・「これはもう、あたしがやるしかない!」と決意した彼女は、幾度かのインドネシア再訪を経て、ついに2010年からジャカルタに居を移すのだった。

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撮影:中西あゆみ


083 裸女の溜まり場

今年の春、銀座ヴァニラ画廊の公募展審査をしていたときのこと。いかにもフェティッシュな若い作家たちの絵画や立体が並ぶ中で、ひとつだけ異彩を放つ、不思議に古風なヌードの油絵が目に留まった。「よでん圭子」さんという女性画家の作品で、くすんだグレーの肌の裸女たちが、画面上にのびやかに配置されている。古典的な構成と技法と、ぜんぜん古典的じゃない風合いを兼ね備えた、それはなんとも評価しがたい絵だった。

フェチやSM系に特化した専門画廊であるヴァニラに、こういう作品を送ってくるとは、いったい本気なのだろうか、意図的に狙ってるのだろうか。見れば見るほど謎めいてくるその絵を前にして、「こんな絵を描くのは、どんなひとなんだろう?」と、会いたくてたまらなくなっていた。

それから数ヶ月してお会いできたよでん圭子さんは、愛知県豊明市で絵画教室を開く、エネルギッシュな女性だった。

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『アリスの部屋』 よでん圭子


084 ふぐりのうた

「おりゃあ」「おおおおお」「つああああ」「べむっ」「ひぐっ」「いやあああああ」・・・喘ぎなのか絶叫なのか、絶頂なのか。言葉にならない言葉がページをびっしり埋めている。

別のページを開いてみると、そこには「餞別ってこの刀のことだったのね!」「20本も咥えてきたんだーー」「なんであたしと同じなのよ」「これはまさしく俺好みのシチュエーション!!」「あなた本当はやさしい人だって」・・・わけのわからない自動筆記現代詩のような文章が、ずらりと並んでいる。このページだけを見せられて、これがいったいなんなのか、瞬時に理解できるひとがどれくらいいるだろう。

ハードカバー、オールカラー、A4版という大判の『エロ写植』は、久しぶりの「やられた!」感に打ちのめされた、僕にとって衝撃的な一冊だった。

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085 天使の誘惑

モンド画伯――本名・奥村門土くん――は福岡の小学4年生、先月10歳になったばかり。お父さんは福岡の音楽シーンでは知らぬもののないミュージシャンであり、イベントオーガナイザーでもあるボギーさんだ。

小さいころから絵を描くのが好きで、「ポスターカラー、クレヨン、マジックなど、けっこう鮮やかな色彩の画材を好んで、3歳ぐらいから描いてましたねえ」とお父さん。

半年ぐらい前から『モンド今日の絵』と名づけたブログを開設。毎日1枚(!)、作品を発表するようになったモンドくん。なんとも言えないサインペンのタッチ、なんとも言えないモデルのチョイス。そしてとりわけ、なんとも言えず効果的な空間(白場)の使い方と、画面構成力! それはもはや、10歳にして到達してしまった、コンテンポラリーな禅画の境地だ。

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『キャプテン・ビーフハート』


086 張り込み日記

「事実は小説より奇なり」という、言い古された格言の英語は「Truth is stranger than fiction」だが、ときとしてそれが「事実のほうがフィクションよりストレンジ」というより、「事実のほうがフィクションよりフィクシャス=フィクションっぽい」という意味ではないかと、思いたくなってしまうことがある。

『張り込み日記』という作品集は中年と若手、ふたりの男たちが街を歩きまわる写真で、すべてのページが構成されている。このふたりは刑事なのだ。

鈴木清順の『殺しの烙印』や、市川崑の『黒い十人の女』のように、それは素晴らしくよくできた日本製フィルム・ノワールのスチル写真にしか見えないのだが、実はこの刑事は本物の刑事で、彼らが追っているのも本物の事件だ。つまりこれは純粋なドキュメンタリーだ。映画のスチルのようなフィクション性に満ちた、作者のいないドラマなのだ・・・いや、この写真を撮った渡部雄吉を作者というべきか。それとも事件の見えざる主役だった連続殺人犯・大西克己のほうが作者であるのか・・・。

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撮影:渡部雄吉


087 電音三太子、世界を行く!

ものすごくギラギラで、ものすごく大きな被り物をかぶって、ものすごくチープなテクノ・ミュージックに乗って、祭りの爆竹スモークのなかを踊りまくる「電音三太子」。こころある台湾知識人の眉をひそめさせ、祭りに酔う子どもたちを熱狂させる、現代台湾が生んだひとつのカルチャー・アイコンだ。

お祭りで踊らないか、と先輩や友人から誘いがかかると、台湾ではそれが不良化への重要な第一歩だそう。誘いかけるのはだいたい街の不良グループで、子供の親たちは「うちの子が祭りの踊りに誘われた、どうしよう」とオロオロするのだとか。

数ある人気三太子チームたちのパフォーマンスを見たいものだと調べていたところ、三太子の扮装を抱えて世界中をめぐり、三太子パフォーマンスを繰り広げている台湾人青年がいるという。重量17キロにのぼるという三太子の扮装とともに、いまも世界のどこかで踊っているはずの台湾青年、その名を呉建衡(ウー・ジェンヘン)という。

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088 凍った音楽

今年で開業55周年を迎える東京タワー。3階にあった「東京タワー蝋(ろう)人形館」が、去る9月1日に43年の歴史に幕を下ろし閉館――というニュースに、ひときわ衝撃を受けた方も多いのではないか。

「日本初、アジア最大の常設ロウ人形館」をうたう、東京タワー蝋人形館が開業したのは1970年。『レイラ』や『レット・イット・ビー』や『原子心母』がリリースされ、ジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリンが死んだ年だ。

日本マクドナルドの創業者として著名な藤田田(でん)によって買収された東京タワー蝋人形館は、「中学で父に連れられビートルズ武道館公演を見て以来、ロックにのめり込んだ」長男の藤田元(げん)さんに受け継がれ、そのおかげで単なる偉人・有名人を並べたロウ人形館から、世界にも類を見ないロック、それもハードロックからジャーマン・エレクトロといったマニアックなジャンルに注力した、とてつもないプログレ・パラダイスに育っていった。

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089 閉じかけた世界のなかへ

『ECHOLILIA』(エコリリア)という大判の写真集は、サンフランシスコ在住の写真家ティモシー・アーチボールドが、自閉症である息子イライジャーと向きあい、写真という手段でその閉ざされたこころとつながりあおうと試みた、果敢な挑戦と、ほとんどスピリチュアルな表現の記録である。

さまざまな雑誌や、広告分野でも活躍する写真家のティモシー・アーチボールド。彼にとって「エコリリア」のシリーズとは、クライアントもなく、掲載する媒体も編集者もなく、息子とふたりきりで、カメラとディスプレイとポラロイドを通じてコミュニケーションしながら、光と影と色彩でつくっていった絵画なのだろう。

そのゆっくりと、しかし着実な軌跡と、その究極の純粋さが僕らの胸を打つ。写真というメディアの深さを教えてくれる。そして世界を、これまでより少しだけ美しいものに思わせてくれる。

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撮影:Timothy Archibald


090 下品な装いが最高の復讐である

会津若松市の片隅。ウッドブレイン・ショールームと名づけられたクラシカルな建築空間で、地元DJのイルマスカトラスが秘蔵する、オールドスクール・ヒップホップ・ファッションのコレクション展を見た。

自由であるようでいて、世界でアメリカほど、ドレスコードにうるさい国はない。大人の男性にとって、スーツをきちんと着るのが社会的信用の基準であることは、何十年前も現在も変わっていない。

そういう文化のなかで、たとえばヒップホップ・ビジネスで成功を収め、巨額の富を得て、それでもアディダスのジャージ上下で公の場に出ていくことは、それ自体が既存の価値観への挑戦であったはずだ。「教養あるものは、成功を収めたものはこう装うべき」という社会常識への反抗としてのファッション。それは確信犯としての「成り上がり」美学でもあった。

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091 ライフ・イズ・ジルバ!

福山市中心部から北上すること約30分、ものすごくのどかな郊外の、そのまた外れに「ジルバ」という名前のスナックがある。

通常のスナック、という概念からはかなり離れた外観。駐車場を兼ねた1階奥の入口前には、客がドアに近づけばセンサーが作動し、眠りから覚めた人形たちがカクカク動き始め、無言の「いらっしゃいませ」で迎えてくれる人形インスタレーション。

ようやく店内に入れば、そこはもうスナックどころかライブハウスかダンスホールと呼びたい、ステージ付きの巨大空間だった!

72歳の城田マスターが、ママの陽子さんと運営するジルバは、今年がちょうど30周年。もともとはダンスホールを20年間にわたって営業してきたが、10年前にこの場所に移ってからスナックに業態変更したという。

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092 歌舞伎町アンダーワールド

その写真集の噂を聞いたのは、2012年の初めごろだったと思う。著者のウェブサイトに直接注文、ベルギーから届いたのが『ODO YAKUZA TOKYO』という写真集だった。

「ODO」とは「桜道」のこと。そして「YAKUZA」と「TOKYO」はもちろん・・・これはベルギー人の若き写真家アントン・クスタースが、新宿歌舞伎町で活動するある組の日常を撮影した写真集なのだ。

「YAKUZA」という、とりわけ外国人にとってはもっともミステリアスな日本文化の一側面に深く寄り添いながら、あくまで客観的にその姿を捉えることに成功した、きわめて稀な作品である。おそらく外国人が、ここまで日本の極道社会に入り込んだ例はこれまでなかったろうし、こんなふうに「YAKUZA」を捉えた日本人カメラマンも、ほとんどいなかったはずだ。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=341


撮影:Anton Kusters


093 世界を桃色に染めて

『独居老人スタイル』でも取り上げた、福島県本宮市の奇跡の映画館・本宮映画劇場と、館主の田村修司さんが秘蔵する、驚愕のポスター&チラシ・コレクション。

1960年代に一瞬の毒花を咲かせた、無名の映画ポスターの傑作群――それはコンピュータどころか、デザイナーすら不在の状況で、弱小プロダクションの社長と印刷屋のオヤジによって生み出され、瞬時に忘れ去られていった、異形のグラフィックだった。欲望と妄想がそのまま紙面にぶちまけられた、フリチンのデザイン・パワーだった。

「ピンク映画」という言葉はもちろん日本製の造語で(英語ではブルーフィルム)、その始まりは1962(昭和37)年の『肉体の市場』だと言われている。すでにいまから半世紀以上前の出来事である・・・。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=345



094 ヴェネツィア・アート・クラビング

今年のヴェネツィア・ビエンナーレでは、史上最年少のディレクターであるマッシミリアーノ・ジオーニによる『The Encyclopedic Palace』が、多くのアウトサイダー・アーティストを起用して話題になった。

いま欧米のアート・ワールドで、アウトサイダー・アートがにわかに脚光を浴びている現象を、単純に読み解こうとすれば、袋小路にとらわれた感のある現代美術にとって、ただみずからの衝動のみによって作品を生み続けてきたアウトサイダー・アーティストに、行き詰まった局面を打開する刺激を求めていると見ることができる。

そうして「あらゆる種類の創造物」と格闘することを、ビエンナーレのような大規模展覧会を企画するキュレイターは、すでに余儀なくされる時代に突入している。そこではキュレイターはひとつの分野や作家の専門家に安住していることはできない。必要とされるのは学者としてのキャリアよりも、むしろDJ的な感覚なのかもしれない。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=349



095 ROADSIDE MUSIC アシッド・マザーズ・テンプル

アシッド・マザーズ・テンプル、略称AMTは、日本では知る人ぞ知る存在かもしれないが、欧米では数多くの熱狂的なファンに支えられてきた、ほんとうにビッグな老舗サイケデリック・ロックバンド。ウェブサイトがほとんどすべて英語ということからも、その国際的な活躍がわかる。

AMTはアシッド・マザーズ・ソウル・コレクティブと名づけた、現在の母体となるグループが1995年に誕生。ミュージシャン、ダンサー、アーティスト、百姓、チャネラー、元ヤクザ、人魚リサーチャー・・・多彩な人間たちによる集合体で、本拠を奈良に置いていた。

しかし翌1996年には、オウム真理教の隠れ家と間違えられ、最初の「ホーム」を出て行かざるをえない事態に! 同じ年に、最初のカセットを自分たちのレーベルからリリースし、1997年にPSFレーベルからファースト・アルバム『アシッド・マザーズ・テンプル』を発表。国内の音楽業界ではそれほど話題にならなかったが、その年のイギリスの音楽雑誌「The Wire」のベスト50アルバムに選ばれて、一挙に海外でその存在が知られるようになった。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=356



096 神の9つの眼

ジョン・ラフマンというカナダのアーティストによる『The Nine Eyes of Google Street View』は、タイトルが示すとおり、グーグルのストリートビューから拾い集められたショットを一冊にまとめた本。

ストリートビューの画像については、おもしろコレクションのようなかたちで、これまでにもたくさんのサイトがアップされているが、ラフマンが拾い集めたコレクションには、単におもしろがるだけではとうていすまされない、深い余韻をたたえた世界観があり、それが見るものすべてを魅了する。

地上から2.5メートルの高さの目線で、9つの眼によって捉えられた路傍の情景。そこにはありとあらゆる日常がある。事件があり、事故があり、退屈があり、喜びと悲しみがあり、恐怖があり、怒りと絶望があり、孤独がある。解像度を抑えられた画像のざらつきが、風景にひそむそうしたニュアンスを、さらに押し上げているようでもある。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=357


提供:Jon Rafman


097 仮装の告白

ここ数年、仮面や仮装をテーマにした写真集が目につくようになってきた。それは仮面や仮装に表象される野性や、現代文化のなかでしぶとく生き残るフォークロアといったものが、エネルギーを失いつつある現代美術やファッション・デザインに対する強烈なカウンター・カルチャーとして、注目を集めるようになったからかもしれない。

仮面や仮装を扱ったこれらの新しい作品集を眺めるとき、偉大な先駆者としてあらためて思い起こされるのが、ミヒャエル・ヴォルゲンジンガーによる美しい写真集『シュヴァイツァー・フォルクスブロイヒェ』(スイスの民衆風俗)だ。

美しく、奇怪で、非日常的でありながら、日常のただなかにあって。そうして「芸術表現」とはけっして認められず、当人たちも思わないまま、あたりまえのこととして継承されてきた、まったくあたりまえに見えない異形の形象。そのイメージの数々は、撮影から半世紀近くがたった現在でも、見るものの間隔を激しく揺さぶる。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=362


撮影:Michael Wolgensinger


098 挟む女

ハサマレル男達』は、文字どおり「挟まれた男たち」。肌もあらわな太ももに顔をギューッと挟まれて、ぐちゃっと変形したところをアップで撮られた、もだえ顔の写真シリーズだ。

男たちの顔を挟んで写真を撮ったのがmimiさん。え、このひとが? と驚くにちがいない、かわいらしい女性である。なのに、これまでの「挟みキャリア」が約8年、挟んだ男たちがすでに300人を超えるというツワモノでもある。

AVのヘアメイクからフリーのSM女王様まで、さまざまな仕事を経験してきたmimiさんが「ハサマレ」を始めたのは、M男くんたちを集めたオフ会がきっかけだったという――「テレビの『めちゃイケ』で、中居くんが岡村さんをふざけて挟んでいたのがすごくおもしろくて、記憶に残ってたんですね。それであるときオフ会で挟んでみたら、おもしろくて! わたし、顔面騎乗が嫌いなんだけど、これなら空気が通って蒸れないし(笑)。それで2回めか3回めから写真も撮るようになりました」・・。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=366


撮影:mimi


099 踏まれるの待っていたライムが肩に手を回したろ?

「潮吹かせるのが得意だから」潮フェッショナルとみずから名づけた三島a.k.a.潮フェッショナル。2013年にデビュー・アルバム『ナリモノイリ』をリリース、去年もっとも話題になったラッパーでありながら、その人となりはクラブに足繁く通うひと握りのファン以外に、まだあまり知られていない。

ときに怒涛のシモネタ炸裂で、ときに抒情詩のリリシズムで、ときに真っ向勝負の硬骨漢ぶりで、聞くものを興奮させつつ戸惑わせる、その守備範囲の広さ。言葉のひとつひとつはきわめて鋭角的なのに、これがデビューアルバムとは信じられない、なめらかなフロウ。いったいこのラッパーは、どこから来た、どんな人間なんだろう。

三島a.k.a.潮フェッショナル、1980(昭和55)年生まれの33歳。故郷は福島県南相馬市。2011年3月11日の東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故により避難を余儀なくされ、いまだに帰還がかなわない20キロ圏内の町である。

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100 水辺の白日夢――スイティエンパークの休日

ベトナムで遊園地というと、サイゴン郊外にあるスイティエンパークがもっとも有名な遊園地ということになっている。

ベトナム語でスイティエンとは「妖精のせせらぎ」を意味するらしい。サイゴン中心部からタクシーで30~40分ほどのスイティエンパークは、「東南アジア初の仏教テーマパーク」という触れ込み。ディズニーランドにも匹敵する巨大な園内のいたるところ、ビザールな景色だらけ。珍スポット・ファンならいちどは訪れなくてはならない、東南アジアの聖地のひとつとされている。

旧正月や中元節などの祝日にはかなり混みあうようだが、ふだんのスイティエンは閑散、というかガラガラ状態。隅から隅まで、かなりゆる~~い空気に包まれているので、できることなら平日に訪れ、極彩色のワビサビを堪能していただきたい。

http://www.roadsiders.com/backnumbers/article.php?a_id=374


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BOOKS

ROADSIDE LIBRARY
天野裕氏 写真集『わたしたちがいたところ』
(PDFフォーマット)

ロードサイダーズではおなじみの写真家・天野裕氏による初の電子書籍。というか印刷版を含めて初めて一般に販売される作品集です。

本書は、定価10万円(税込み11万円)というかなり高価な一冊です。そして『わたしたちがいたところ』は完成された書籍ではなく、開かれた電子書籍です。購入していただいたあと、いまも旅を続けながら写真を撮り続ける天野裕氏のもとに新作が貯まった時点で、それを「2024年度の追加作品集」のようなかたちで、ご指定のメールアドレスまで送らせていただきます。

旅するごとに、だれかと出会いシャッターを押すごとに、読者のみなさんと一緒に拡がりつづける時間と空間の痕跡、残香、傷痕……そんなふうに『わたしたちがいたところ』とお付き合いいただけたらと願っています。

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ROADSIDE LIBRARY vol.006
BED SIDE MUSIC――めくるめくお色気レコジャケ宇宙(PDFフォーマット)

稀代のレコード・コレクターでもある山口‘Gucci’佳宏氏が長年収集してきた、「お色気たっぷりのレコードジャケットに収められた和製インストルメンタル・ミュージック」という、キワモノ中のキワモノ・コレクション。

1960年代から70年代初期にかけて各レコード会社から無数にリリースされ、いつのまにか跡形もなく消えてしまった、「夜のムードを高める」ためのインスト・レコードという音楽ジャンルがあった。アルバム、シングル盤あわせて855枚! その表ジャケットはもちろん、裏ジャケ、表裏見開き(けっこうダブルジャケット仕様が多かった)、さらには歌詞・解説カードにオマケポスターまで、とにかくあるものすべてを撮影。画像数2660カットという、印刷本ではぜったいに不可能なコンプリート・アーカイブです!

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ROADSIDE LIBRARY vol.005
渋谷残酷劇場(PDFフォーマット)

プロのアーティストではなく、シロウトの手になる、だからこそ純粋な思いがこめられた血みどろの彫刻群。

これまでのロードサイド・ライブラリーと同じくPDF形式で全289ページ(833MB)。展覧会ではコラージュした壁画として展示した、もとの写真280点以上を高解像度で収録。もちろんコピープロテクトなし! そして同じく会場で常時上映中の日本、台湾、タイの動画3本も完全収録しています。DVD-R版については、最近ではもはや家にDVDスロットつきのパソコンがない!というかたもいらっしゃると思うので、パッケージ内には全内容をダウンロードできるQRコードも入れてます。

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ROADSIDE LIBRARY vol.004
TOKYO STYLE(PDFフォーマット)

書籍版では掲載できなかった別カットもほとんどすべて収録してあるので、これは我が家のフィルム収納箱そのものと言ってもいい

電子書籍版『TOKYO STYLE』の最大の特徴は「拡大」にある。キーボードで、あるいは指先でズームアップしてもらえれば、机の上のカセットテープの曲目リストや、本棚に詰め込まれた本の題名もかなりの確度で読み取ることができる。他人の生活を覗き見する楽しみが『TOKYO STYLE』の本質だとすれば、電書版の「拡大」とはその密やかな楽しみを倍加させる「覗き込み」の快感なのだ――どんなに高価で精巧な印刷でも、本のかたちではけっして得ることのできない。

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ROADSIDE LIBRARY vol.003
おんなのアルバム キャバレー・ベラミの踊り子たち(PDFフォーマット)

伝説のグランドキャバレー・ベラミ・・・そのステージを飾った踊り子、芸人たちの写真コレクション・アルバムがついに完成!

かつて日本一の石炭積み出し港だった北九州市若松で、華やかな夜を演出したグランドキャバレー・ベラミ。元従業員寮から発掘された営業用写真、およそ1400枚をすべて高解像度スキャンして掲載しました。データサイズ・約2ギガバイト! メガ・ボリュームのダウンロード版/USB版デジタル写真集です。
ベラミ30年間の歴史をたどる調査資料も完全掲載。さらに写真と共に発掘された当時の8ミリ映像が、動画ファイルとしてご覧いただけます。昭和のキャバレー世界をビジュアルで体感できる、これ以上の画像資料はどこにもないはず! マンボ、ジャズ、ボサノバ、サイケデリック・ロック・・・お好きな音楽をBGMに流しながら、たっぷりお楽しみください。

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ROADSIDE LIBRARY vol.002
LOVE HOTEL(PDFフォーマット)

――ラブホの夢は夜ひらく

新風営法などでいま絶滅の危機に瀕しつつある、遊びごころあふれるラブホテルのインテリアを探し歩き、関東・関西エリア全28軒で撮影した73室! これは「エロの昭和スタイル」だ。もはや存在しないホテル、部屋も数多く収められた貴重なデザイン遺産資料。『秘宝館』と同じく、書籍版よりも大幅にカット数を増やし、オリジナルのフィルム版をデジタル・リマスターした高解像度データで、ディテールの拡大もお楽しみください。
円形ベッド、鏡張りの壁や天井、虹色のシャギー・カーペット・・・日本人の血と吐息を桃色に染めあげる、禁断のインテリアデザイン・エレメントのほとんどすべてが、ここにある!

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ROADSIDE LIBRARY vol.001
秘宝館(PDFフォーマット)

――秘宝よ永遠に

1993年から2015年まで、20年間以上にわたって取材してきた秘宝館。北海道から九州嬉野まで11館の写真を網羅し、書籍版では未収録のカットを大幅に加えた全777ページ、オールカラーの巨大画像資料集。
すべてのカットが拡大に耐えられるよう、777ページページで全1.8ギガのメガ・サイズ電書! 通常の電子書籍よりもはるかに高解像度のデータで、気になるディテールもクローズアップ可能です。
1990年代の撮影はフィルムだったため、今回は掲載するすべてのカットをスキャンし直した「オリジナルからのデジタル・リマスター」。これより詳しい秘宝館の本は存在しません!

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捨てられないTシャツ

70枚のTシャツと、70とおりの物語。
あなたにも〈捨てられないTシャツ〉ありませんか? あるある! と思い浮かんだあなたも、あるかなあと思ったあなたにも読んでほしい。読めば誰もが心に思い当たる「なんだか捨てられないTシャツ」を70枚集めました。そのTシャツと写真に持ち主のエピソードを添えた、今一番おシャレでイケてる(?)“Tシャツ・カタログ"であるとともに、Tシャツという現代の〈戦闘服〉をめぐる“ファッション・ノンフィクション"でもある最強の1冊。 70名それぞれのTシャツにまつわるエピソードは、時に爆笑あり、涙あり、ものすんごーい共感あり……読み出したら止まらない面白さです。

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圏外編集者

編集に「術」なんてない。
珍スポット、独居老人、地方発ヒップホップ、路傍の現代詩、カラオケスナック……。ほかのメディアとはまったく違う視点から、「なんだかわからないけど、気になってしょうがないもの」を追い続ける都築響一が、なぜ、どうやって取材し、本を作ってきたのか。人の忠告なんて聞かず、自分の好奇心だけで道なき道を歩んできた編集者の言葉。
多数決で負ける子たちが、「オトナ」になれないオトナたちが、周回遅れのトップランナーたちが、僕に本をつくらせる。
編集を入り口に、「新しいことをしたい」すべてのひとの心を撃つ一冊。

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ROADSIDE BOOKS
書評2006-2014

こころがかゆいときに読んでください
「書評2006-2014」というサブタイトルのとおり、これは僕にとって『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(2008年)に続く、2冊めの書評集。ほぼ80冊分の書評というか、リポートが収められていて、巻末にはこれまで出してきた自分の本の(編集を担当した作品集などは除く)、ごく短い解題もつけてみた。
このなかの1冊でも2冊でも、みなさんの「こころの奥のかゆみ」をスッとさせてくれたら本望である。

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独居老人スタイル

あえて独居老人でいること。それは老いていくこの国で生きのびるための、きわめて有効なスタイルかもしれない。16人の魅力的な独居老人たちを取材・紹介する。
たとえば20代の読者にとって、50年後の人生は想像しにくいかもしれないけれど、あるのかないのかわからない「老後」のために、いまやりたいことを我慢するほどバカらしいことはない――「年取った若者たち」から、そういうスピリットのカケラだけでも受け取ってもらえたら、なによりうれしい。

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ヒップホップの詩人たち

いちばん刺激的な音楽は路上に落ちている――。
咆哮する現代詩人の肖像。その音楽はストリートに生まれ、東京のメディアを遠く離れた場所から、先鋭的で豊かな世界を作り続けている。さあ出かけよう、日常を抜け出して、魂の叫びに耳を澄ませて――。パイオニアからアンダーグラウンド、気鋭の若手まで、ロングインタビュー&多数のリリックを収録。孤高の言葉を刻むラッパー15人のすべて。

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東京右半分

2012年、東京右傾化宣言!
この都市の、クリエイティブなパワー・バランスは、いま確実に東=右半分に移動しつつある。右曲がりの東京見聞録!
576ページ、図版点数1300点、取材箇所108ヶ所!

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東京スナック飲みある記
ママさんボトル入ります!

東京がひとつの宇宙だとすれば、スナック街はひとつの銀河系だ。
酒がこぼれ、歌が流れ、今夜もたくさんの人生がはじけるだろう、場末のミルキーウェイ。 東京23区に、23のスナック街を見つけて飲み歩く旅。 チドリ足でお付き合いください!

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